紹介方針
・記す情報は、基本的に大野裕司『戦国秦漢出土術数文献の基礎的研究』(北海道大学出版会、2014年)を中心に、種々の資料を参照している。
・簡略な内容と先行研究を紹介する。
・なお、本ページで述べる「新出土文献」とは、特に1970年代以降に出土・発見された資料のことを指す。
※今後更新予定
蓍亀→阜陽双古漢簡『周易』/上海博物館蔵戦国楚竹書『周易』/江陵王家台秦簡『帰蔵』
医学→馬王堆漢墓帛書『胎産書』
天文関係
馬王堆漢墓帛書『五星占』
(まおうたいかんぼはくしょ/ごせいせん)
基礎情報
・1973年、中国の湖南省の墓から出土。墓は前漢文帝期に埋葬されており、『五星占』はその副葬品の1つ。
・帛書に記されている。文献名は内容からの仮称。
・五星(歳星・太白・填星・熒惑・辰星)に関する占いが記されている。占術は『開元占経』など後世の内容と一致・類似するものが多い。
・また、歳星・填星・太白の運行に関する記録が記されている。
(例文)
・大白贏數弗去、其兵強。(大白贏にして数去らざれば、其の兵強し。)
・秦始皇帝元年正月、太白出東方、【日】行百廿分、百日。(秦始皇帝元年正月、太白 東方に出で、【日に】行ること百廿分、百日なり。)
関連研究
・藪内清「中国天文学における五星運動論」(『東方学報』第26号、1956年)
・川原秀城・宮島一彦「五星占」(山田慶児編『新発現中国科学史資料の研究 訳注篇』所収、京都大学人文学研究所、1985年)
・武田時昌「太白行度考―中國古代の惑星運動論」(『東方学報』第85号、2010年)
・武田時昌「五星會聚説の數理的考察(上)秦漢における天文暦術の一側面」(『中国思想史研究』第31号、2011年)
・武田時昌「五星會聚説の數理的考察(下)秦漢における天文暦術の一側面」(『中国思想史研究』第32号、2021年)
・裘錫圭主編 湖南省博物館/復旦大学出土文献与古文字研究中心編『長沙馬王堆漢墓簡帛集成』第1・4輯(中華書局、2014年)
馬王堆漢墓帛書『天文気象雑占』
(まおうたいかんぼはくしょ/てんもんきしょうざっせん)
基礎情報
・1973年、中国の湖南省の墓から出土。墓は前漢文帝期に埋葬されており、『天文気象雑占』はその副葬品の1つ。
・帛書に記されている。文献名は内容からの仮称。
・雲・気・暈・虹などの気象現象及び太陽・月・星・彗星などの天文現象を根拠とした占術が多く含まれている。一部は図付き。『五星占』と同じく、占術は『開元占経』など後世の内容と一致・類似するものが多い。
(例文)
・云(雲)如牛、七介、入人〓(野)、五日亡地。(雲 牛のごとく、七介ありて、人の野に入れば、五日にして地を亡う。)
・両月並出、有邦亡。(両月並びに出づれば、邦亡ぶ有り。)
関連研究
・武田時昌・宮島一彦「天文気象雑占」(山田慶児編『新発現中国科学史資料の研究 訳注篇』所収、京都大学人文学研究所、1985年)
・劉楽賢「《天文気象雑占》考釈」(『馬王堆天文書考釈』所収、中山大学出版社、2004年)
・裘錫圭主編 湖南省博物館/復旦大学出土文献与古文字研究中心編『長沙馬王堆漢墓簡帛集成』第1・4輯(中華書局、2014年)
馬王堆漢墓帛書『日月風雨雲気占』甲篇・乙篇
(まおうたいかんぼはくしょ/にちげつふうううんきせん)
基礎情報
・1973年、中国の湖南省の墓から出土。墓は前漢文帝期に埋葬されており、『日月風雨雲気占』はその副葬品の1つ。
・帛書に記されている。文献名は内容からの仮称。『刑徳』甲篇・乙篇と同じ帛書上に記されている。
・甲篇・乙篇の内容は基本的に同じであり、太陽・月・風・雷・雨・雲気を根拠とした占術が確認できる。
(例文)
・日中軍(暈)・耳(珥)、割地・城。(日中 暈・珥あれば、地・城を割る。)
・歳十二月露雨至、不有流民、必有兵小死。(歳十二月に露雨至りて、流民有らざれば、必ず兵の小死有り。)
関連研究
・劉楽賢『馬王堆天文書考釈』、(中山大学出版社、2004年)
・裘錫圭主編 湖南省博物館/復旦大学出土文献与古文字研究中心編『長沙馬王堆漢墓簡帛集成』第1・5輯(中華書局、2014年)
銀雀山漢墓竹簡『天地八風五行客主五音之居』
(ぎんじゃくざんかんぼちっかん/てんちはっぷうごぎょうきゃくしゅごおんのきょ)
基礎情報
・1972年、山東省の墓から出土。墓は前漢前期のものであり、『天地八風五行客主五音之居』はその副葬品の1つ。「天地八風五行客主五音之居」という記述が存在しており、これが篇名とされる。
・天地・八風・五行・客主・五音の五篇から成り、主に戦争について占う。天地篇は方位占、八風篇は風占、五行篇は布陣に関する占術であり、客主篇では風の方角と六十干支から戦争の優劣を占う。五音篇では、風邪の吹いた時刻から戦争を行うべきかどうか占う。
関連研究
・胡文輝「銀雀山漢簡《天地八風五行客主五音之居》釈証」(『中国早期方術与文献叢考』所収、中山出版社、2000年)
・銀雀山漢墓竹簡整理小組編『銀雀山漢墓竹簡[貳]』(文物出版社、2010年)
・椛島雅弘「銀雀山漢墓竹簡『天地八風五行客主五音之居』における八風理論とその變遷―客主觀を中心として」(『中國出土資料研究』第22号、2018年)
・椛島雅弘「銀雀山漢墓竹簡『天地八風五行客主五音之居』客主篇と中国兵学における択日占」(『東アジア思想・文化の基層構造—術数と『天地瑞祥志』—』所収、汲古書院、2019年)
暦譜関係
・銀雀山漢墓竹簡『元光元年暦譜』
(ぎんじゃくざんかんぼちっかん/げんこうがんねんれきふ)
基礎情報
・1972年、山東省の墓から出土。墓は前漢前期のものであり、『元光元年暦譜』はその副葬品の1つ。前漢武帝元光7年10月~翌年9月までの暦譜(=現代で言うカレンダーのようなもの)を記す。
・暦譜の中には、月名・干支日・節気・節日・暦注が記されており、臘祭(=ろうさい。狩りを行って百神or先祖の神を祭る儀式)のような行事を行う日や、反支日(=毎月の朔日の十二支によって決められる凶日)を確認するためにことが予想される。
関連研究
・呉九龍「銀雀山二号墓漢簡釈文」(『銀雀山漢簡釈文』所収、文物出版社、1985年)
・劉楽賢『簡帛数術文献探論』(湖北教育出版社、2003年)
・工藤元男「具注曆の淵源 ―「日書」・「視日」・「質日」の閒―」(『東洋史研究』第72(2)号、2013年)
・岳麓書院蔵秦簡『質日』
(がくろくしょいんぞうしんかん/しつじつ)
基礎情報
・2007年、岳麓書院が購入したもの。盗掘された竹簡であり、出土地は不明。
・『質日』は、6段に分けて記されている。それぞれ日付が書かれており、一部に墓主の公務が併せて記されている。
・「□七年質日」(秦始皇27年)、「卅四年質日」(秦始皇34年)、「卅五年私質日」(秦始皇35年)のものが確認されている。
・「質日」の意味・性格について、李零氏は「質日」を「視日」とした上で「時日を調査する」だと解釈し、『質日』を当番日誌のようなものと推測する。一方、陳偉氏は「質」を「要」とし、「質日」を約束して定められた暦日という説と、「実」として民間における実用的な暦日だとする説を提示するなど、様々な説が存在する。
関連研究
・朱漢民・陳松長主編『岳麓書院蔵秦簡〔壹〕』(上海辞書出版社、2010年)
・李零「視日・日書和葉書―三種簡帛文献的区別和定名」(『文物』2008年12期)
・陳偉(森和・工藤元男 訳)「岳麓書院秦簡「質日」初歩研究」(『中国出土資料研究』第16号、2012年)
・張家山漢墓竹簡『算数書』
(ちょうかさんかんぼちっかん/さんすうしょ)
基礎情報
・1983年12月から1984年1月にかけて、湖北省で前漢初期の墓が発見された。『算数書』はその副葬品の1つ。算題名は以下の通り。面積や体積、粟から米への換算法、税や利息を求める計算式、金銭を分ける計算式、商売の計算式など、多種多様な数字の計算法を述べる。
1.少広 2. 大広 3. 里田 4. 方田 5. 啓広 6. 啓縦 7. 井材 8. 園材
9.心底材方 10. 座方材園 11. 園亭 12. 旋粟 13. 困蓋 14. 除 15. 墾堵
16芻 17. 粟求米 18. 当為米 19. 垂桜米 20. 米愛盛 21. 米粟井 22. 粟米井
23.米出銭 24. 程禾 25. 女直 26. 井租 27. 婦織 28. 取程 29. 租誤券
24.耗 31. 耗租 32. 取菓程 33. 誤券 34. 税田 35. 春粟 36. 医 37. 稗殿
38.懸練 39. 摯脂 40. 羽矢 41. 分銭 42. 維幅 43. 息銭 44. 飲漆 45. 程竹
46.急病 47. 石率 48. 買塩 49. 出金 50. 銅耗 51. 伝馬 52. 狐出関
53.毛皮 54. 白米 55. 弟宮材 56. 出炭 57. 羽矢 58. 漆銭 59. 金座 60. 行
61.増減分 62. 分当半者 63. 合分 64. 約分 65. 径分 66. 分半者 67. 乗
68.分乗 69. 相乗
関連研究
・張家山漢簡『算数書』研究会『漢簡『算数書』―中国最古の数学書』(朋友書店、2006年)
・張替俊夫「『算数書』―中国最古の数学書」(『数学史研究』第197号、2008年)
・岳麓書院蔵秦簡『数』
(がくろくしょいんぞうしんかん/すう)
基礎情報
・2007年、岳麓書院が購入したもの。盗掘された竹簡であり、出土地は不明。
・内容は、「田地の生産量と租税の計算」「田地の面積計算」「穀物の体積重量・兌換の換算」「衰分章の問題(=官位による穀物分配の問題)」など、様々な計算問題が記されている。
(例)「田地の生産量と租税の計算」
取禾程。三歩一斗、今得四升、問幾可(何)歩一斗。得曰、「十一歩九分歩一而一斗。」為之述(術)曰、「直(置)所得四升。」
関連研究
・朱漢民・陳松長主編『岳麓書院蔵秦簡〔貳〕』(上海辞書出版社、2011年)
・田村誠「二つの古算書-『数』と『算術』について」(『計算機科学研究所報』第32号、2011年)
・蕭燦『嶽麓書院藏秦簡《數》研究』(中国社会科学出版社、2015年)
・中国古算書研究会編『岳麓書院蔵秦簡『数』訳注』(朋友書店、2016年)
※今後更新予定
→香港中文大学文物館蔵簡牘『文帝十二年質日』/清華大学蔵戦国簡『算書』
五行関係
雲夢睡虎地秦簡『日書』
(うんぼうすいこちしんかん/にっしょ)
基礎情報
・1975年、湖北省の墓から出土。墓は秦の地方官のものであり、『日書』は副葬品の1つ。
・2種類(甲種・乙種)存在しており、それぞれ多種多様な占術が収録されているが、大部分は択日占(日選びの占術)である。土木・建築・旅行・祭祀・農業・結婚などに関する吉日を占う。
・以下、劉楽賢『睡虎地秦簡日書研究』に基づき、内容ごとの分類を示す。
甲種
1,択日部分
(1)時間別の日選び
1除篇、2秦除篇、4稷辰篇、6朔望弦晦篇、8男日女日篇、9弦戈篇、11艮山篇、13歳篇(前半部分)、14星篇、18帝篇、25十二支避忌篇、31禹須臾篇、33臽日敫日篇、48視羅篇、53刺毀篇、57天李篇、58反支篇
(2)事項別の日選び
動土(土木関係)→22土忌篇一、55土忌篇二
門戸の設置→20四向門篇、56門篇
建築→19起室篇、21室忌篇
出門と帰行→28行篇一、29帰行篇、30到室篇、32十二支占行篇、51行篇二
遷徒→10遷徒篇、54忌徒篇
入寄者(居候)→12室去入寄者篇
入官見官(赴任と出仕)→38吏篇、39入官篇
娶妻・出女(結婚関連)→37作女子篇、40取妻出女篇
祭祀→16祭祀篇
裁衣→5衣篇
農事→3農事篇
作事と毀棄→23作事篇、24毀棄篇
求人→求人篇
その他→17諸良日篇、46十二支占卜篇、47忌殺篇、59傅戸篇
2、非択日部分
(1)択日原理→13歳篇(後半の秦楚月名対照表・日夕表)、44日夕表篇、49五行篇、50直心篇
(2)雑占→7鼠襄戸篇、15病篇、34生子篇、35人字篇、45盗者篇
(3)相宅(風水)→26置室門篇、42相宅篇
(4)解除祈禱など→41夢篇、43詰咎篇、52出邦門篇、60馬禖祝篇
乙種
(1)時間別の日選び
時間別の日選び→1除乙篇、3除篇、4秦篇、11指毀篇、13四敫日篇、15官篇、19臽日篇、22男日女日篇、24朔望篇、28甲子篇、29避忌篇、40辰日篇、44視羅篇
(2)事項別の日選び
動土(土木関係)→8壊垣篇
建築→23室忌篇、39為圂篇
出門と帰行→10諸行日篇、32行篇、33逃亡篇、35十二支占卜篇(第1部)
遷徒(方角の吉凶)→16忌徒篇、41嫁子刑篇
入寄者(居候)→9入寄者篇
入官見官(赴任と出仕)→45入官篇
祭祀→7祭祀篇
裁衣→30製衣篇、31初冠篇
農事→5農事篇
作事と毀棄→26作事篇
見人(人と会う)→14見人篇
貴人→27貴人篇
疾病(看病)→37問病者篇
その他→6諸良日篇、42四季天干占死者篇
2、非択日部分
(1)択日原理→2日夕表篇、17五行篇、18直心篇、20天閻篇、34十二時篇、43干支篇
(2)雑占→12方向占生子篇、25占風篇、35十二支占卜篇(第2・3部分)、36有疾篇、38夢篇(前半部分)、46生篇、47失火篇、48盗篇
(3)解除祈禱など→38夢篇(後半部分)、21出邦門篇、7祭祀篇(後半)
関連研究
・睡虎地秦墓竹簡整理小組『睡虎地秦墓竹簡』(文物出版社、1990年)
・劉楽賢『睡虎地秦簡日書研究』(文津出版社、1994年)
・工藤元男「睡虎地秦簡「日書」における病因論と鬼神の関係について」(『東方学』第88号、1994年)
・大野裕司「睡虎地秦簡『日書』における神霊と時の禁忌」(『中国出土資料研究』第9号、2005年)
・工藤元男『占いと中国古代の社会―発掘された古文献が語る』(東方選書、2011年)
天水放馬灘秦簡『日書』
(てんすいほうばたんしんかん/にっしょ)
基礎情報
・1986年、甘粛省の秦代の墓から出土。2種類(甲種・乙種)存在している。
・甲種は、月建表・建除書・亡盗・吉凶・禹須臾・人日・生子・禁忌から成っている。
・乙種は、月建・建除書・置室門・門忌・方位吉時・地支時辰吉凶・吏聴・亡盗・昼夜長短・臽日長短・五行相生及三合局・行・衣良日・牝牡月日・人日・四廃日・行忌・五音日・死忌・作事・六甲孤虚・生子・衣忌・井忌・畜忌・卜忌・六十甲子・占候・五種忌・禹歩・正月占風・星度・納音五行・律書・五音占・音律貞卜・雑忌・問病・其它から成っている。
・内容は、択日占を主としており、様々な事柄に関する吉凶日を占い、しばしば睡虎地秦簡『日書』に類似する。
関連研究
・甘粛省文物考古研究所編『天水放馬灘秦簡』(中華書局、2009年)
・張徳芳主編・孫占字著『天水放馬灘秦簡集釈』(甘粛文化出版社、2013年)
随州孔家坡漢簡『日書』
(ずいしゅうこうかはかんかん/にっしょ)
基礎情報
・2000年、湖北省の漢代の墓から発見された文献。他の『日書』と共通する内容が含まれる。篇目は以下の通り。
建除・伐木日・金銭良日・叢辰・星官・撃・刑徳・徒時・□□・□生・五勝・臨日・時・徒・孤虚・反支・日廷・帰行・到室・窮日・亡日・亡者・離日・来・禹須臾行日・行日・見人・禹須臾所以見人日・嫁女・牝牡月・牝牡日・出入人・裁衣・入官・直心・四季日・五子・土功・司空・穿地・土忌・鷄・豕・囷・井戸・屏囷・入内・天刺・殺日・土功事・垣・蓋屋築室・垣日・直室門・門・死咎・死失(死失図)・報日・有疾・死・日時・馬牛亡者・天牢・盗日・人字・生子・忌日・血忌・□稼・占・司歳・主歳・朔占・糴・始穜(種)・歳・未編聯簡
関連研究
・湖北省考古研究所、隋州市考古隊編『随州孔家坡漢墓簡牘』(文物出版社、2006年)
・森和「日者の語った天地の終始」(『アジア遊学』第115号、2008年)
・森和「「日書」と中国古代史研究―時称と時制の問題を例に―」(『史滴』第30号、2008年)
・森和「離日と反支日からみる「日書」の継承関係」(『東アジア古代出土文字資料の研究』所収、雄山閣、2009年)
馬王堆漢墓帛書『陰陽五行』
(まおうたいかんぼはくしょ/いんようごぎょう)
基礎情報
・1973年、中国の湖南省の墓から出土。墓は前漢文帝期に埋葬されており、『陰陽五行』はその副葬品の1つ。甲篇・乙篇が存在する。
・「天一」「徒」「天地」「女発」のような神煞を用いた択日占や、建築の日付と方位にまつわる吉凶を占う術など、様々な占術が収録されている。
関連研究
・裘錫圭主編 湖南省博物館/復旦大学出土文献与古文字研究中心編『長沙馬王堆漢墓簡帛集成』第1・4・5輯(中華書局、2014年)
・名和敏光「馬王堆漢墓帛書《陰陽五行》乙篇の構造と思想」(『術数学の射程 東アジアの「知」の伝統』 所収、京都大学人文科学研究所、2014年)
・名和敏光「北京大学漢簡「堪輿」と馬王堆帛書『陰陽五行』甲篇「堪輿」の対比研究」(『中国出土資料の多角的研究』所収、汲古書院、2018年)
北京大学蔵漢簡『揕輿』
(ぺきんだいがくぞうかんかん/かんよ)
基礎情報
・2009年、北京大学が入手したもの。盗掘によって海外へ流出した前漢時代の竹簡であり、出土地は不明。
・内容は、神煞の運行に関する表や、択日占と方位占を併せた占術が収録されている。なお、『揕輿』の内容は、馬王堆漢墓帛書『陰陽五行』の揕輿に関する記述と類似しており、その点でも注目される。
関連研究
・北京大学出土文献研究所編『北京大学蔵西漢竹書(伍)』(上海古籍出版社、2014年)
・名和敏光「出土資料「堪輿」考」(『中国古代史研究』所収、研文社、2017年)
・名和敏光「北京大學漢簡「揕輿」と馬王堆帛書『陰陽五行』甲篇「堪輿」の對比研究」(『中國出土資料の多角的研究』所収、汲古書院、2018年)
・名和敏光「堪輿占考」(『アジア遊学』244号、2022年)
馬王堆漢墓帛書『刑徳』
(まおうたいかんぼはくしょ/けいとく)
基礎情報
・1973年、中国の湖南省の墓から出土。墓は前漢文帝期に埋葬されており、『刑徳』はその副葬品の1つ。甲篇・乙篇・丙篇が存在する。
・『刑徳』には、大遊説と小遊説という刑徳に関する2種類の占いを掲載する。刑徳占は、「刑」「徳」という各方位を遊行している神の位置関係から、吉方・凶方や起こる出来事を占う術。択日占と方位占の要素を持つ。
・大遊説は、年ごとの遊行であり、20年周期で刑・徳が5つの方位を離合(=離れた位置や一緒の位置にいること)する。(また、太陰という神も周遊している。)その年ごとの刑・徳と太陰の位置関係から、戦争すべきかどうか、攻める方位の吉凶を占う。
・小遊説は、6日ごとの遊行であり、刑徳だけでなく、豊隆・風伯・大音・雷公・雨師という神も登場する。大遊説と異なり、風占いの要素もあり、風がある方角から吹いた際、その日にちと方位を担当する神の占辞を見て占う。占う内容は、兵事・落雷・降雨・災害・穀物の収穫について記される。
(例)大音発気、不雨、兵起、在軍、軍益。雨、吉。
関連研究
・末永高康「帛書『刑徳』小考」(『坂出祥伸先生退休記念論集 中国思想における身体・自然・信仰』所収、東方書店、2004年)
・武田時昌「刑徳遊行の占術理論」(『日本中国学会報』第63号、2011年)
・小倉聖「馬王堆帛書「刑徳」篇「刑徳大遊」についての一考察」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』第58輯、2012年)
・小倉聖「馬王堆漢墓帛書に見える刑德小遊と三合説」(『中國出土資料研究』第23号、2019年)
・裘錫圭主編 湖南省博物館/復旦大学出土文献与古文字研究中心編『長沙馬王堆漢墓簡帛集成』第1・5輯(中華書局、2014年)
馬王堆漢墓帛書『出行占』
(まおうたいかんぼはくしょ/しゅっこうせん)
基礎情報
・1973年、中国の湖南省の墓から出土。墓は前漢文帝期に埋葬されており、『出行占』はその副葬品の1つ。
・内容は、出行日の吉凶を占うものであり、種々の出土文献と類似する。具体的には睡虎地秦簡『日書』甲種の禹須臾篇・帰行篇・乙種の諸行日篇・十二支占行篇・十二支占卜篇・馬王堆漢墓帛書『刑徳』・『陰陽五行』甲篇の天地などとの関わりが指摘されている。
関連研究
・裘錫圭主編 湖南省博物館/復旦大学出土文献与古文字研究中心編『長沙馬王堆漢墓簡帛集成』第2・5輯(中華書局、2014年)
張家山漢墓竹簡『蓋廬』
(ちょうかさんかんぼちっかん/こうりょ)
基礎情報
・1983年12月から1984年1月にかけて、湖北省で前漢初期の墓が発見された。『蓋廬』はその副葬品の1つ。
・呉王の蓋廬(闔廬とも)とその臣下である伍子胥の問答形式によって兵法が説かれている。第1章から第9章に分かれており、特に術数と密接な関わりを持つのが第2・4・5章である。
(例)第4章の一部
皮(彼)興之以金、吾擊之以火。皮(彼)興以火、吾擊之以水。皮(彼)興以水、吾擊之以土。皮(彼)興之以土、吾興之以木。皮(彼)興以木、吾興之以金。此用五行勝也。(彼 之を興すに金を以てすれば、吾 之を撃つに火を以てす。彼興すに火を以てすれば、吾 之を撃つに水を以てす。彼興すに水を以てすれば、吾 之を撃つに土を以てす。彼 之を興すに土を以てすれば、吾 之を興すに木を以てす。彼興すに木を以てすれば、吾 之を興すに金を以てす。此れ五行の勝を用いるなり。)
関連研究
・張家山二四七號漢墓竹簡整理小組編著『張家山漢墓竹簡 二四七號墓』(文物出版社、2001年)
・石井眞美子「張家山漢簡『蓋廬』に見られる兵陰陽についての一考察」(『学林』第46・47号、2008年)
・武田時昌「天の時、地の利を推す兵法―兵陰陽の占術理論」(『中国思想史研究』第34号、2013年)
蓍亀関係
上海博物館蔵戦国楚簡『卜書』
(しゃんはいはくぶつかんぞうせんごくそかん/ぼくしょ)
基礎情報
・1994年、上海博物館は香港の骨董市場にて戦国時代のものとされる竹簡群を購入した。『卜書』は、それに含まれる文献。「卜書」は仮称。
・内容は、数種の亀卜占いについて4名の亀卜家が説く。前半部分は、卜兆(=亀版を焼いて出現する割れ目)の横画に拠って吉凶を判断する。占う内容は、主に居所の吉凶である。後半部分は、「食墨(=亀版を焼いた際に発生する煤によって亀版が黒色になること)」、「兆色(=亀版の熱による色の変化)」、「三族(=卜兆の割れ目3本が集合するところ)と三末(=割れ目3本が分かれる末端)」によって吉凶を判断する。占う内容は、国家の吉凶である。
関連研究
・馬承源主編『上海博物館蔵戦国楚竹書(九)』(上海古籍出版社、2013年)
・大野裕司「上博楚簡『卜書』の構成とその卜法」(『中国研究集刊』第58号、2014年)
清華大学蔵戦国簡『筮法』
(せいかだいがくぞうせんごくかん/ぜいほう)
基礎情報
・整理者によって基礎知識及び理論の部分(「四位」「卦位図」「天干」「地支」「数字卦画」「爻象」)と占例の部分(「死生」「得」「享」「支」「至」「娶妻」「讎」「見」「咎」「瘳」「雨旱」「男女」「行」「貞丈夫女子」「小得」「戦」「成」「志事」「志事軍旅」「四季吉凶」「乾坤運転」「果」「崇」「十七命」)の全30節に分けられる。
・占例は、多くの数字卦(=数字を爻とし、その組み合わせによる卦画)によって示される。分欄書写がなされており、その中に挿絵や表が含まれ、一枚の帛書のような体例になっている。
※数字卦は甲骨文・金文・陶文および包山楚簡・新蔡楚簡、馬王堆帛書・阜陽漢簡・上博楚簡『周易』にも確認できる。
・具体的な占法としては、八卦から占断を導く方法が主だが、時に悪爻(=五・九・四・八といった数字卦)を用いることもあり、また八卦を無視して数字卦の数字の順番から占断を導く方法、占う日の干支と卦画との関係から占断を導く方法も確認される。
関連研究
・清華大学出土文献研究与保護中心編・李学勤主編『清華大学蔵戦国竹簡〔肆〕』(中西書局、2013年)
・末永高康「清華簡『筮法』について」(『書法漢學研究』第15号、2014年)
・末永高康「清華簡『筮法』の求爻法について」(『東洋古典學研究』 第37号、2014年)
・大野裕司「清華大學藏戰國竹簡『筮法』における占術の多重構造」(『漢字學硏究』第4号、2016年)
馬王堆漢墓帛書『周易経伝』
(まおうたいかんぼはくしょ/しゅうえきけいでん)
基礎情報
・1973年、中国の湖南省の墓から出土。墓は前漢文帝期に埋葬されており、『周易経伝』はその副葬品の1つ。
・本文献は「経」「伝」に分かれており、経では64卦の卦画・卦辞・爻辞がそれぞれ記されている。(彖伝・象伝・文言伝などは確認できない。)64卦の順序は伝世のものと異なっている。
・伝は二三子問篇・繋辞篇・衷篇・要篇・繆和篇・昭力篇から成り、卦辞・爻辞などの解説がなされている。
関連研究
・辛賢『漢易術數論研究―馬王堆から『太玄』まで』(汲古書院、2002年)
・裘錫圭主編 湖南省博物館/復旦大学出土文献与古文字研究中心編『長沙馬王堆漢墓簡帛集成』第1・3輯(中華書局、2014年)
・池田知久・李承律 ・馬王堆出土文献訳注叢書編集委員会『易 上 六十四卦』(東方書店、2022年)
・池田知久・李承律 ・馬王堆出土文献訳注叢書編集委員会『易 下 二三子問篇 繫辭篇 衷篇 要篇 繆和篇 昭力篇』(東方書店、2022年)
北京大学蔵漢簡『荊決』
(ぺきんだいがくぞうかんかん/けいけつ)
基礎情報
・2009年、北京大学が入手したもの。盗掘によって海外へ流出した前漢時代の竹簡であり、出土地は不明。竹簡の背面に「荊決」という文字が確認される。
・冒頭3簡分は序文であり、占法を記している。占法は、算筹(ちゅう)(計算道具の一種)三十本を用い、その束を無造作に上・中・下の三つに分ける。もし、それぞれの束が四本より多ければ、残り四本以下になるまで四本ずつ抜いていき、残った算筹を用いる。もし四本より少なければ、そのままの本数で占う。爻は三つに分かれ、上は横、中は縦、下は横に表示し、三つの爻から卦が形成される。それぞれの卦は、十干十二支に対応している。占辞については、それぞれ占辞を述べた後、末尾に吉凶の占断が述べられる。現在、合計で十六種の卦象が確認できる。
・また、『荊決』の内容は、北大漢簡『日書』や、敦煌文献『周公卜法』と近く、その関係性が注目される。
関連研究
・北京大学出土文献研究所編『北京大学蔵西漢竹書(伍)』(上海古籍出版社、2014年)
雑占
居延漢簡『占嚏耳鳴書』
(きょえんかんかん/せんせいじめいしょ)
基礎情報
・居延漢簡は、1930年から31年にかけて、西北科学考査団が西域で発見した資料群。(1972年に同じく西域にて発見された木簡に対し、居延旧簡と呼ばれることもある。)『占嚏耳鳴書』はそれに含まれている文献の1つ。名前は仮称。
・「耳鳴」「目濡」「鼻嚏(=くしゃみ)」「目瞤(=まぶたの痙攣)」によって物事の成就などを占う。
関連研究
・謝桂華・李均明・朱国焙『居延漢簡釈文合校』(文物出版社、1987年)
馬王堆漢墓帛書『太一祝図』
(まおうたいかんぼはしょ/たいいつしゅくず)
基礎情報
・1973年、中国の湖南省の墓から出土。墓は前漢文帝期に埋葬されており、『太一祝図』はその副葬品の1つ。
・雨師や雷公をはじめとする神や龍が描かれている。また「太一将行何(荷)日、神従之。」のような文章や、太一が出行する際の祝語が記されている。
・本文献の用途については、辟兵のために用いられたと解釈されている。
関連研究
・裘錫圭主編 湖南省博物館/復旦大学出土文献与古文字研究中心編『長沙馬王堆漢墓簡帛集成』第2・6輯(中華書局、2014年)
岳麓書院蔵秦簡『占夢書』
(がくろくしょいんぞうしんかん/せんむしょ)
基礎情報
・2007年、岳麓書院が購入したもの。盗掘された竹簡であり、出土地は不明。
・題名は仮称。前半5簡では、夢占いに関する基礎理論(例:夢占いは四時の運行に従うべき)を述べる。以降の部分では、上下で分段筆写がされており、夢の内容から未来の吉凶を占う術が列挙される。
(例)夢見虎豹者、見貴人。(虎豹を夢見れば、貴人を見る。)
関連研究
・朱漢民・陳松長主編『岳麓書院蔵秦簡〔壹〕』(上海辞書出版社、2010年)
・湯浅邦弘「岳麓秦簡『占夢書』の思想史的位置」(『中国研究集刊』第57号、2013年)
・森和「秦人の夢—岳麓書院蔵秦簡『占夢書』初探」(『日本秦漢史研究』第13号、2013年)
・高戸聰「嶽麓書院藏秦簡『占夢書』訳注稿」(『福岡女学院大学紀要』人文学部編第27号、2017年)
尹湾漢墓木牘『神亀占』
(いんわんかんぼもくとく/しんきせん)
基礎情報
・1993年、江蘇省の漢代の墓から木牘が出土した。『神亀占』はその文献の1つ。
・9号木牘表面の上段・中断に記されている。(下段は別文献)題名は仮称。上段では占法と占断が記され、中段には亀の図が描かれている。
・内容は窃盗の被害に遭った際に、その犯人を占うもので、亀の図を用いて占う。具体的には、亀を8つの部位に訳、後左足から反時計回りに窃盗に遭った日付分を数えていき、当たった部位によって占う。判明する内容は、窃盗犯を捕まえられるかどうか、犯人の姓名、犯人のいる方角である。
(例)4日の場合→「右脅(みぎわきばら)」
直右脅者、可得。姓朱氏、名長、正西。
関連研究
・連雲港市博物館・東海県博物館・中国社会科学院簡帛研究中心・中国文物研究所編『尹湾漢墓簡牘』(中華書局、1997年)
・劉楽賢「《神亀占》初探」(『簡帛数術文献探論』所収、中国人民大学出版社、2012年)
尹湾漢墓木牘『博局占』
(いんわんかんぼもくとく/はくきょくせん)
基礎情報
・1993年、江蘇省の漢代の墓から木牘が出土した。『博局占』はその文献の1つ。
・9号木牘の裏面に記されている。上段には「規矩紋」(下図)が描かれている。これは戦国時代から漢代にかけて流行した盤上遊戯である「六博」の盤の図柄と同じ。その図には、日付を示す干支が書き込まれ、図の中央には「方」、図の上側には「南方」と書写されている。
・図の下には、5段にわたり全10行から成る占文が記される。各段の1行目にはそれぞれ「占取婦嫁女」「問同行」「問繋者」「問病社」「問亡者」とあり、2行目以降では各事柄の吉凶を占っている。またこの占いの各行冒頭には「方」「廉」「楬」「道」「張」「曲」「詘」「長」「高」とある。
・占う方法は、占う日の干支が図において「方」「廉」「楬」「道」「張」「曲」「詘」「長」「高」の9字どれに当てはまるのかを確認し、下段の占文の各字ごとの吉凶を見るというもの。(図には「方」以外の字が見えないが、これは『西京雑記』巻4の記述を見ればどこにどの字が来るのかが分かる。詳しくは先行研究を参照。)
関連研究
・連雲港市博物館・東海県博物館・中国社会科学院簡帛研究中心・中国文物研究所編『尹湾漢墓簡牘』(中華書局、1997年)
・上田岳彦・鈴木直美「尹湾簡牘「博局占」の方陣構造-博局紋の系譜解明の一助として」(『駿台史學』第112号、2001年)
・鈴木直美「博局紋と宴飲六博図−その性格と前漢末の流行要因−」(『中国出土資料研究』第7号、2003年)
・鈴木直美「後漢図像にみる六博−神との交流から不老長寿の遊戯へ−」(『日本秦漢史学会会報』第5号、2004年)
・鈴木直美「旧楚地における六博の変遷−漆器の生産地に着目して−」(『遊戯史研究』第18号、2006年)
・劉楽賢「《博局占》考釈」(『簡帛数術文献探論』所収、中国人民大学出版社、2012年)
北京大学蔵漢簡『六博』
(ぺきんだいがくぞうかんかん/りくはく)
基礎情報
・2009年、北京大学が入手したもの。盗掘によって海外へ流出した前漢時代の竹簡であり、出土地は不明。「六博」という表題あり。
・内容と形式は、基本的に尹湾漢墓木牘『博局占』と同じだが、六十干支の配列、博局の方位、占辞の叙述方式、日期の計算法は異なる。
関連研究
・北京大学出土文献研究所編『北京大学蔵西漢竹書(伍)』(上海古籍出版社、2014年)
北京大学蔵漢簡『雨書』
(ぺきんだいがくぞうかんかん/うしょ)
基礎情報
・2009年、北京大学が入手したもの。盗掘によって海外へ流出した前漢時代の竹簡であり、出土地は不明。「雨書」の表題あり。
・天候に関する占術を集めたもの。「雨」「星(晴)」「無篇題」「候風雨」「候」「霽」「雷」の7篇から成る。占い方としては、いわゆる天気予報のようなものが多い。
(例)子以雨、二日不星(晴)、乃四日而星(晴)。(子以て雨ふり、二日にして晴れざれば、乃ち四日にして晴る。)
→子日に雨が降り、その後二日晴れなければ、四日後に晴れる。
(例)二月朔奎、雨。不雨、七月雨霜。(二月朔奎、雨ふる。雨ふらざれば、七月雨霜ふる。)
→二月の「朔奎」(=一日)に雨が降らなければ、七月に雨や霜が降る。
関連研究
・北京大学出土文献研究所編『北京大学蔵西漢竹書(伍)』(上海古籍出版社、2014年)
形法
馬王堆漢墓帛書『木人占』
(まおうたいかんぼはくしょ/もくじんせん)
基礎情報
・1973年、中国の湖南省の墓から出土。墓は前漢文帝期に埋葬されており、『木人占』はその副葬品の1つ。
・帛書に記されている。文献名は本文の「舉木人作占驗」から付けられた。(この文献が収められていた箱には「雜占圖」と書かれているので、『雑占図』とも称される。)
・上下二段から成り、上段には計99個の図形(四角形・台形・三角形・井字形・十字形など)が描かれており、その中には文字が描かれている。具体的な占法については不明。
(例)「大吉」「大凶」「食女子力」「食長子力」…
・下段と左側には、上段の図とは別の占い(方位占)が記されている。また、相人に関する記述も確認できる。
(例)凡占南、西南郷(向)立、西南大陽、東南小陽、西北大陰、東北小陰。
(例)人頤傷人、而拊執於南禺。
関連研究
・陳松長『帛書史話』(中国大百科全書出版社、2000年)
・王樹金「馬王堆漢墓帛書《木人占》探述」(『出土文献研究』第12輯、2013年)
・裘錫圭主編 湖南省博物館/復旦大学出土文献与古文字研究中心編『長沙馬王堆漢墓簡帛集成』第2・5輯(中華書局、2014年)
馬王堆漢墓帛書『居葬図』
(まおうたいかんぼはくしょ/きょそうず)
基礎情報
・1973年、中国の湖南省の墓から出土。墓は前漢文帝期に埋葬されており、『宅葬図』はその副葬品の1つ。
・内容は相宅(風水)で、大きく分けて2つに分けられ、1つ目は各姓ごとに「回」の形をした人宅図と家宅図がセットで描かれている。(敦煌文献p2615a『諸雑推五姓陰陽等宅図経』などに類似。)
・2つ目は、不規則な形をした図形が並べられ、その下には「凶」「絶後」といった記述が確認でき、その図をした家が凶宅であることを示している。(敦煌文献p2615a『諸雑推五姓陰陽等宅図経』や日本・『吉日考秘伝』地形吉凶第四十六に類似。)
関連研究
・裘錫圭主編 湖南省博物館/復旦大学出土文献与古文字研究中心編『長沙馬王堆漢墓簡帛集成』第2・6輯(中華書局、2014年)
馬王堆漢墓帛書『相馬経』
(まおうたいかんぼはくしょ/そうばけい)
基礎情報
・1973年、中国の湖南省の墓から出土。墓は前漢文帝期に埋葬されており、『相馬経』はその副葬品の1つ。
・良馬の鑑定法について述べる文献。文献名は内容からの仮称。「経」「伝」「故訓」の3つに分けられる。「経」は主に馬の眼部の鑑定法について述べ、「伝」「故訓」は「経」の解説や具体例を述べる。
関連研究
・謝成侠「関于馬王堆漢墓帛書《相馬経》的深討」(『文物』1977年第8期)
・裘錫圭主編 湖南省博物館/復旦大学出土文献与古文字研究中心編『長沙馬王堆漢墓簡帛集成』第2・5輯(中華書局、2014年)
銀雀山漢墓竹簡『相狗法』
(ぎんじゃくざんかんぼちっかん/そうくほう)
基礎情報
・1972年、山東省の墓から出土。墓は前漢前期のものであり、『相狗法』はその副葬品の1つ。
・「相狗法」という表題有り。「肩」「臀」「脚」「喙」「目」「耳」「毛」など、犬の各部位の状態から良い猟犬の条件の基準を説く。
関連研究
・桂小蘭『古代中国の犬文化 食用と祭祀を中心に』(大阪大学出版社、2005年)
・銀雀山漢墓竹簡整理小組編『銀雀山漢墓竹簡[貳]』(文物出版社、2010年)
居延漢代木牘『相宝剣刀』
(きょえんかんだいもくとく/そうほうけんとう)
基礎情報
・1972年から74年にかけて、エチナ川流域を調査した結果発見された木簡群に含まれていた文献。『相宝剣刀』は甲渠候官(破城子)遺址から出土した。文献名は仮称。
・「身」「推處」「黒堅」「白堅」「逢(鋒)」「文(紋)」などの刀剣の部位から剣の善し悪しを判断する。
関連研究
・甘粛省文物考古研究所・甘粛省博物館・中国文物研究所・中国社会科学院歴史研究所編『居延新簡』(中華書局、1994年)
・李零「十、相馬、相狗、相刀劍」(『中国方術正考』「占卜體系與有關發現」所収、2006年)