研究組織
研究代表者
水口 幹記(藤女子大学文学部准教授)
研究分担者
名和 敏光(山梨県立大学国際政策学部准教授)
佐野 誠子(名古屋大学人文学研究科准教授)
松浦 史子(二松学舎大学文学部准教授)
清水 浩子(大正大学綜合仏教研究所研究員)
田中 良明(大東文化大学東洋研究所准教授)
佐々木 聡(金沢学院大学文学部講師)
髙橋 あやの(関西大学東西学術研究所非常勤研究員)
山崎 藍(青山学院大学文学部准教授)
国内外研究協力者
洲脇 武志(愛知県立大学日本文化学部准教授)
ファム・レ・フイ(ベトナム国家大学ハノイ校・人文社会科学大学・東洋学部日本研究学科講師)
孫英剛(浙江大学歴史系教授)
深澤瞳(大妻女子大学・武蔵野大学非常勤講師)
鄭淳一(高麗大学歴史教育科助教授)
要旨
「術数」とは古代中国で成立した陰陽・五行の数理に基づく吉凶判断であり、前近代を通じて東アジアの国々に広く伝播し、それぞれの社会に深く浸透してゆくことで、それぞれの民族文化の形成にも強い影響を与えた。このような「術数文化」を文化交流史・比較文化史の観点からその形成や伝播・展開の諸相を明らかにするのが、本研究の目的である。そして、多様な術数文化を考究するために、本研究では、日本・中国を中心に、韓国やベトナムなどの隣接地域の研究者を加えた汎東アジア的視座から、東アジア各国史・思想史・文学・文化史・書誌学・出土資料学・古文書学・宗教史・図像学・美術史・科学史など様々な分野のプロパーが参加し、学際的研究を行う。
学術的背景・目的
「術数」とは古代中国で成立した陰陽・五行の数理に基づく吉凶判断であり、占星術や暦などを通じ、前近代東アジアにおける社会理念として機能してきた。そのため術数に関する研究は、科学と占術という二つの側面を持つ。その初期においては、科学的側面、特に天文学や暦学に関心が集まったが(ex新城新蔵・藪内清)、その背景的思想を理解しようとする中で、伝統的な『易』の思想を根幹とした占術的側面への関心も高まることとなった。ただし、占術面の本格的な研究が始まるのは、1960年代以降である。まず安居香山や中村璋八らは、漢代儒学の神秘的側面に着目し、緯書や讖緯などの予言的言説を明らかにしたことで(『緯書集成』、漢魏文化研究室、1959-64年[後『重修緯書集成』、明徳出版、1971-92年]、安居編『讖緯思想の綜合的研究』、国書刊行会、1984年)、占術が思想史における重要テーマとして定着した。
また一方で、先の藪内らの薫陶を受けた山田慶児や坂出祥伸らは、天文観念や医術養生思想を研究する上で、占術と科学の両面による研究方法を確立した(ex坂出『中国古代の占法』、研文出版、1991年、山田『中国医学の起源』、岩波書店、1999年)。また、中村は中国のみならず日本でも古くから利用されていた術数の基本書である『五行大義』の注釈書を出す一方、『日本陰陽道書の研究』(汲古書院、1985年)により、日本の陰陽道と中国の術数文化との関係を鋭く指摘し、術数文化の東アジア的展開研究の先鞭をつけた。
こうした流れを承け、武田時昌は改めて「術数」を陰陽・五行理論を中心とする学問という広い枠組みで捉え直し、「術数学」の総合的研究グループを組織し、今日まで多様な成果を上げて来た(武田編『陰陽五行のサイエンス』、京都大学人文科学研究所、2011年、武田編『術数学の射程―東アジア世界の「知」の伝統』、京都大学人文科学研究所、2014年)。また、一方で、三浦國雄は「術数」を、呪術を含めた「術」(技術)として捉え、思想史研究者を中心とする共同研究班を組織し、占術書としての『易』を始め、風水・日選び・人相・手相・暦など様々な実用的な術数文献の整理を行った(三浦編『術数書の基礎的文献学的研究:主要術数文献解題』正編2007年、続編2009年、三編2012年、科研報告書)。21世紀以降、日本の術数研究は、この武田と三浦の研究グループが中心となって進められてきた。そして2015年度には、第60回国際東方学者会議にて「中国古代における術数と思想」シンポジウムが開催されるなど、アジア学全体における関心も高まりつつある。
本研究は以上のような状況を踏まえ、東アジア史における術数研究をより一層進展させるために、「術数文化」という言葉を規定し研究を進めていくこととした。そもそも、術数は前近代を通じて東アジアの国々に広く伝播し、それぞれの社会に深く浸透してゆくことで、それぞれの民族文化の形成にも強い影響を与えたものであった。それは日本の伝統文化においても、平安時代以降、陰陽寮や民間宗教者の活動を通じ、国家の祭礼や年中行事として浸透し、今日に至る祭りや節句、さらには験担ぎのような社会慣習・通念として色濃く残されていることからも明らかである。
したがって、従来研究されてきた固有の思想としての術数だけでなく、広く基層的な文化としても着目する必要がある。このような術数をめぐる伝統的文化を「術数文化」と規定し、中国のみならず広く東アジア地域を対象とし、文化交流史・比較文化史の観点からその形成や伝播・展開の諸相を明らかにするのが、本研究の目的である。
研究内容
①中国国内における術数文化の成立・継承・展開と東アジア地域への広がりについて
術数文化を捉えるために、科学的な側面だけではなく、社会生活上の様々な側面に着目する必要がある。そこで広く文学・思想・学術面から研究を進めていく。また、韓国・ベトナム・中国の研究者に参加してもらうことにより、この問題を学際的・国際的に議論し、明らかにしていく。
②術数文化と書物(特に類書形式の術数文献)との関係について
術数文化の東アジアの国々への広がりにおいて重要な役割を果たしたのは術数文献である。主要な術数文献には、類書形式で書かれたものが多く、内容も祥瑞・災異・天文・暦・陰陽五行・占術・鬼神・呪符など多岐に渡る。特に、本研究で注目しているのが日本佚存類書の『天地瑞祥志』である。本書(全20巻中9巻残)は、天文をはじめとして、上記した術数の諸要素が全て含まれている貴重な書である。しかも、本書作成地をめぐり議論が分かれ(唐or新羅)、さらには、本書が中国で利用された形跡がないのに対して、日本では平安から江戸時代までの利用が確認でき、高麗でも利用の記録が残されている。本書は術数文化の理解に不可欠なものであり、同時に術数文化の東アジア的広がりを知るには絶好の書物である。本研究では、2011年以降水口を代表とする『天地瑞祥志』研究会において作成してきた本書訳注稿(現在、約三分の一完成)をベースとし、その内容や思想背景を関連資料も含めて検討することで、この問題を明らかにする。
③術数文化と出土資料・美術建築物との関係について
伝世文献のみならず、出土資料や敦煌文書、また、キトラ古墳の天文図に代表される、美術・モニュメント・建築としての資料も重要な意味を持つ。また、そうした美術・意匠は、各国おける都城の形成(例えば、ベトナムでは都城に瑞獣などの意匠が施されており、李氏朝鮮では都城や墓地選定に風水が強く関与していた)においても重要な役割を果たしている。この点を踏まえ、伝世文献の文字資料以外における術数文化の影響について明らかにしていく。
④海外における術数文化研究の検討・紹介
近年は海外でも術数文化と関わる研究が盛んであるが、これらの研究が日本に紹介されることはあまりない。そこで各国の主要な論考を翻訳し、検討会の場で合評・討論し、研究の進展に役立てる。また、重要な論考を社会に公開していくことにより、術数文化研究の発展に寄与する。
学術的特色・独創的な点
①「術数文化」という用語の提唱
武田は「術数学」と言い、三浦は「術」と規定する。武田は主に術数の理論・構造面に注目し、一方、三浦らは思想史からのアプローチが中心である。これに対し、本研究では幅広い文化的現象を統合する用語として「術数文化」を提唱する。本用語の使用により、これまでの術数研究では看過されがちであった理論・思想以外の事象(文学・学術・建築物などへの影響や受容)をも正面から対象とすることができ、また、本用語の下、地域への伝播・展開の様相を通時的に検討することにより、各地域の独自性・特質を析出することが可能となり、中国中心の術数研究から東アジアの術数研究への展開が望めるようになり、今後の術数研究に寄与すること大である。
②類書形式の術数文献(『天地瑞祥志』)への注目
主要な術数文献には類書形式で書かれたものが多いものの、その研究は、先の三浦の共同研究班でも術数類書は全く取り上げられていないように、思いの外乏しい。本研究が着目するのは、様々な社会や生活文化に深く浸透してきた伝統文化としての術数である。このことを踏まえれば、伝統的な百科全書であり、また天地の全てを網羅する類書という形式こそ、術数が多様な文化として広く浸透する上で重要な役割を果たしたと考えられる。
本研究で着目する『天地瑞祥志』は類書形式の術数文献であり、しかも、本書は祭祀や説話・図像など、従来術数とは見なされないことも多い資料も渾然一体となり載録されており、その広範な文化的記述が注目される。かつ、その利用も中国周辺諸国(日本・高麗)においてである点や、日本の朝廷を中心に長期間利用されていたことが特徴的であり、術数理論に限らず、文化交流史・政治文化史の側面からも非常に貴重な史料であると思われる。
その一方で、本書は水口らの研究(ex水口『日本古代漢籍受容の史的研究』、汲古書院、2005年)により近年ようやく注目されるようになった資料であり、基礎的な研究もまだ十分ではなかった。そのため、上述したように、我々は本研究のメンバーを中心に、本書の校訂と訳注稿作りを進めており、既に一部は発表済みである。本研究は、こうした基礎研究を下敷きとすることで、着実に独自の成果につなげていけると思われる。