〈術数文化〉の基本文献(中国・伝世文献)

紹介方針

・全体が術数文化に関わる文献については、書誌学的な情報を中心にまとめた。(『易』を除く)

・文献の一部が術数文化に関係する場合、詳細な巻数やテキストの情報は省略し、内容の紹介を中心に行った。

・今後紹介する予定の文献→『礼記』『白虎通』『風俗通義』『潜夫論』『山海経』『洪範五行傳論』『春秋繁露』『太玄』(を含めた易系の文献)『韓非子』飾邪篇、『潜夫論』愛日篇・卜列篇、『越絶書』越絶計倪内経第五・越絶外伝記策考第七・越絶外伝記軍気第十五、『呉越春秋』夫差内伝第五・句践入臣外伝第七・句践陰謀外伝第九、『晋書』、『隋書』、文学系(特に志怪関係)、兵学系(『太白陰経』『虎鈐経』など)、道教系、仏教系…

『易』(えき)

占いの書であると共に、思想・哲学の書。『周易』『易経』とも。伝承によれば、伏羲・周の文王・孔子を経て完成したものとされるが、実際は長い年月をかけて現行の形になったとされる。

基礎情報

『易』は、「経(六十四卦の記号・卦辞・爻辞)」と「伝(上彖伝・下彖伝・上象伝・下象伝・繋辞上伝・繋辞下伝・文言伝・説卦伝・序卦伝・雑卦伝。十翼とも)」より構成されている。

経の六十四卦について、まず陽爻(⚊)と陰爻(⚋)を3本組み合わせ、八卦(乾☰・兌☱・離☲・震☳・巽☴・坎☵・艮☶・坤☷)を作る。さらにこれを2セット組み合わせ、6本の爻でもって64パターンの記号を作り上げる。これが六十四卦となる。

陽爻は陽・剛、陰爻は陰・柔の性質を持ち、八卦はそれぞれ多種多様な性質を持つ。(例:乾=天・父・君・首・馬・健)そして、八卦の性質が六十四卦にも影響を及ぼしている。

卦辞

卦辞は、1つの卦全体の解説である。例えば乾の場合、「元(おお)いに亨(とお)りて、貞(ただし)きに利(よろ)し」という卦辞となる。

爻辞は、1つの卦を構成する6本の爻それぞれに関する解釈である。爻の数は、64×6=384条となる。例えば乾の爻辞は、以下の通りとなる。

初九=潜みたる竜、用られること勿し

九二=見(あらわれ)たる竜、田に在り。大人を見るのに利し

九三=君子、終日乾乾(つとみはげみ)し、夕べに惕若たれば、厲(あやう)けれども咎なし

九四=或いは躍りて淵に在り。咎なし

九五=飛びたる竜、天に在り。大人を見るに利し

九六=亢(たかぶ)りたる竜、悔あり

用九=群りたる竜に首なきを見る。吉

(用九は乾のみの例外。また坤にのみ「用六」という条が存在する。)

なお、爻の呼び名については、下から初、二、三…のように呼び、それが陽爻なら「九」、陰爻なら「六」の数字を足す。この数字は、それぞれを象徴するものである。乾卦は全て陽爻から構成されるので、「初九」か「九○」しか存在しない。

伝について、それぞれ以下のような内容となっている。

彖伝(上・下)…各卦辞の解説。儒家的、倫理的傾向が強い。

象伝(上・下)…大象(各卦の記号の解説)と小象(各爻の解説)に分かれる。彖伝と同じく、儒家的、倫理的傾向が強い。

繋辞伝(上・下)…全体の解説。占いの方法の他、「天は尊く地は卑くして乾坤定まる」「易に対極有り、是れ両儀を生ず。両儀 四象を生じ、四象 八卦を生ず。」など、歴史を述べる。

文言伝…乾卦と坤卦にのみ附されている解説であり、彖伝・象伝の補足のような位置づけ。

説卦伝…前半は繋辞伝と同じく易の概論。後半は、八卦それぞれの性質を説く。

序卦伝…六十四卦の順序やつながりについて説明を行っている。

雑卦伝…六十四卦の本質を一語で表現する。例:「震は起なり。艮は止なり。」

※訳本において、彖伝・象伝・文言伝は、経の各卦の部分に附されることが多い。

占法

本筮法・中筮法・略筮法・擲銭法など、様々な占い方が存在するが、ここでは本筮法と略筮法を紹介する。(金谷治『易の話 『易経』と中国人の思考』(講談社学術文庫、2003年)と(三浦國雄『【増訂】 易経』(東洋書院、2008年)を参照)

本筮法

⓪50本の蓍か筮竹を用意する。

①50本の中から無造作に1本を抜き取る。(この1本は対極を象り、今後用いない)

②雑念を払って残り49本を一気に二分する。(左手の分を「天」、右手の分を「地」に象る)

③右手の分を机上に置き、そこから1本抜き取って小指と薬指の間に挟む。(この1本を「人」に象る)

④1・2・3・4本のいずれかになるまで、左手の分を4本ずつ除く。(除く4本は、四季に象る。余りは閏月に象る)余りは薬指と中指の間に挟む。

⑤机に置いていた右手の分を左手で握り、④と同様のことを行い、余りを中指と人差し指の間に挟む。以上、第一変。

(左手に挟んである合計は5本か9本となる)

⑥先に挟んである筮竹は除き、余り(40or44本)を改めて両手に持ち、②③④⑤の操作を行う。以上、第二変。

(左手に挟んである合計は4本か8本となる)

⑦第二変で用いた筮竹は除き、余り(32or36or40本)を改めて両手に持ち、②③④⑤の操作を行う。以上、第三変。

⑧以上の三変の残数から、初爻(最下位の爻)を導く。まず、得られる数字は5or9or4or8だが、9と8を「多」、4と5を「少」とみなすと、「二多一少」「二少一多」「三少」「三多」の4パターンとなる。

「二多一少」=「少陽」、「二少一多」=「少陰」、「三少」=「老陽」、「三多」=「老陰」である。「少」は安定している性質を、「老」は反対のものに変化する性質を持っている。

「少陽」「老陽」は⚊(陽爻)で「少陰」「老陰」は⚋(陰爻)であり、見かけ上それぞれ同じである。

⑨ ①~⑧を残り5回行い、六爻全てを求め、本卦を得る。

※六爻に老陽・老陰が含まれている場合、「老」の変化する性質により、変爻(陰陽の性質が変化する)という現象が起こる。そして、その爻位の陰陽を変化させて得られる卦が「之卦」であり、今後起こりうる可能性を暗示するという。本卦と共に占断に用いる。

(例)

⚊(少陽)     →⚊

⚋(少陰)     →⚊

⚊(老陽・変爻)  →⚋

⚊(少陽)     →⚊

⚊(少陽)     →⚊

⚋(老陰・変爻)  →⚊

本卦=鼎卦    之卦=大畜卦

占断法

変爻がない場合→本卦の卦辞or卦象によって判断する

変爻がある場合→本卦と之卦に加え、本卦の変爻した部分の爻辞も参照して判断する

(1)変爻がなく、本卦の卦辞で判断する場合の事例

昭公7年、衛の襄公が亡くなった後、正夫人には子がなく、妾の子である孟縶(もうちゅう)がいるだけであった。ところが、家老と史官がそろって夢を見た。その夢とは、衛の始祖が夢枕にあらわれて、「元という子を後継者とせよ」と言った。その後、妾が子を産んで「元」と名付けられた。

家老はそこで、元が後継者となるよう祈り、易で占うと、屯(ちゅん)の卦が得られた。それを史官に見せると、「屯の卦辞には「元、亨る」とあります。ためらうことはありません。」と答えた。家老は、「元は長の意味で、年長者=孟縶が良いということではないだろうか」と質問すると、史官は「始祖さまが新たに生まれた子を元と名付けられたのだから、これこそ長者というべきです。それに屯の卦辞には、「侯に建てるに利し」とあります。仮に孟縶さまは本来、正当な世継ぎであるため、わざわざ「建てる」という必要はないでしょう。どうか元さまを後継者となさって下さい。」と答えた。こうして、家老の力によって元が衛の君主となった。

(2)変爻がなく、本卦の卦象で判断する場合の事例

僖公15年、秦が晋を攻撃しようとした際、占って蠱の卦が得られた。占い師は大吉と判断し、「蠱の卦は、内卦は巽☴で風の象、外卦は艮☶で山の象です。現在の季節は秋なので、味方が山の実を吹き落とし材木を刈り取るかたちであり、味方の勝ちは間違いないでしょう。実が落とされ材木が取られるとするなら、晋は敗戦するのみです。」と答えた。戦争の結果はこの通りとなった。

(3)変爻がある場合の事例

僖公25年、秦が周の天子を助けて軍を起こそうとした際、占って大有の卦が得られた。ただし、第三爻が老陽であり、変爻して睽の卦も得られた。

秦の易者はこのように占断した。「吉です。「公、用て天子より享せらる(君主が天子からごちそうを受ける)という卦です。戦争に勝ち、天子がそれをねぎらってもてなされることを予言しているわけで、これ以上はありません。それにこの卦では、天が沢に変わって日を受けているのです。素晴らしいではないですか。」と。

※「公、用て天子より享せらる」=大有の九三の爻辞

「天が沢に変わる」=大有の内卦「乾(天)」が「兌(沢)」に変わったことを指す

「日を受けている」=外卦の離の象が「日」である所から

略筮法

略筮法は、江戸時代に平沢常矩が発案し、新井白蛾が世間に広めたとされる。方法は以下の通りである。

⓪50本の蓍か筮竹を用意する。

①50本の中から無造作に1本を抜き取る。

②雑念を払って残り49本を一気に二分する。

③右手の分を机上に置き、そこから1本抜き取って小指にはさむ。

④左の掌中にある筮竹を右手で8本ずつ除去してゆき、小指の分(1本)もいれて残りが8本以下になるまで行う。

⑤残った本数によって、内卦(下の三爻)が得られる。(残りが1本なら乾、2本なら坤,以下、離=3、震=4、巽=5、坎=6、艮=7、坤=8となる)

⑥ ①~⑤を繰り返し、外卦(上の三爻)を求める。

⑦さらに①~⑤を行い(ただし、④で除去する本数は8本ではなく6本)、6本以下になるまで行い、変じる爻位を求める。(残りが1本なら初爻変、2本なら第二爻変)

⑧その爻位の陰陽を変化させて、之卦を得る。

(例)本卦=恒で第二爻変の場合、小過が之卦となる

☳  ☳

☴→ ☶

恒卦    小過卦

⑨得られた本卦を基本とし、之卦も踏まえて判断する。

※本筮法と異なり、一爻ごとに求める必要がないことと、必ず一爻が変じる点で特徴的。

成立年代

経の部分は、春秋時代初期の成立(前7世紀中盤)という説(武内義雄)が存在する。(詳しくは、武内義雄『易と中庸の研究』(岩波書店、1943年)を参照。)

また、経と伝を含めた現行の形となったのが、おおよそ前漢のはじめ頃だとされている。

近年では、馬王堆漢墓帛書・阜陽漢簡・上博楚簡の『易』が含まれている他、清華簡『筮法』では八卦が登場する。このように、易の成立・形成に大きな示唆を与える文献が発見されている。

象数易と義理易

『易』の解釈には、「象数易」と「義理易」という2つの立場が存在する。象数易は、特に易の占い的な側面を強調する立場である。漢代の易学にその傾向が強い。(漢代易学については、鈴木由次郎『漢易研究 増補改訂版』(明徳出版社、1974年)を参照。)

義理易は、特に易の言葉に注目し、人生の教訓や道徳的教えとして捉える立場である。例えば、『戦国策』秦策には、楚の春申君が秦に赴いた際、未済の卦辞「亨る。小狐汔(ほとん)ど済(わた)らんとし、其の尾を濡らす。利しき攸(ところ)なし」を引用し、秦の六国侵攻について、「始めはよいが、後に六国の恨みを買って良くない」と諫めた。この他、注釈者として、義理易の立場を取った人物として、魏の王弼や北宋の程頤が挙げられる。

また、南宋の朱熹は、この2つの立場を総合して『周易本義』を著した。

『易』は、儒教・術数学内で尊重されたのはもちろん、中国文化全体に大きな影響を与えた。

[関連文献](数が多いため、一部の入門書・訳本を中心に挙げた。)

武内義雄『易と中庸の研究』(岩波書店、1943年)

鈴木由次郎『漢易研究 増補改訂版』(明徳出版社、1974年)

本田濟『易』(朝日新聞出版、1978年)

加地伸行編『易の世界』(人物往来社、1986年)

今井宇三郎『易経(上)』(明治書院、1987年)

今井宇三郎『易経(中)』(明治書院、1993年)

金谷治『易の話 『易経』と中国人の思考』(講談社学術文庫、2003年)

今井宇三郎『易経(下)』(明治書院、2008年)

三浦國雄『【増訂】 易経』(東洋書院、2008年)

『墨子』(ぼくし)

墨翟(ぼくてき)(前5世紀後半~4世紀はじめごろ)とその後学によってまとめられた書。『墨子』といえば兼愛・非攻をはじめとする「十論」が著名だが、その中の明鬼は術数文化との関わりが深い。

明鬼下篇では、鬼神が賢者を賞し暴力を罰する存在であることを述べると。また、天下が乱れている原因は、鬼神の存在を信じないようになった結果だと説く。そして、鬼神を確かめる方法や、実際に鬼神が存在する事例を挙げる。

この他、迎敵祠篇では、いわゆる望気術(上空に雲などの気を観測し、未来を見通す術)の方法を含めた解説がなされている。また、開戦前の儀式についても述べる。

[関連研究]

山田琢『『墨子』 上』(明治書院、1975年)

山田琢『『墨子』 下』(明治書院、1987年)

浅野裕一『墨子』(講談社、1998年)

吉永慎二郎「墨家の万民系集団の存在」(『戦国思想史研究 儒家と墨家の思想史的交渉』所収、朋友書店、2004年)

浅野裕一「上博楚簡『鬼神之明』と『墨子』明鬼論」(『中国研究集刊』第41号、2006年)

『管子』(かんし)

斉の管仲(かんちゅう)(前730ごろ~前645)が著した書とされているが、管仲死後の事柄が言及されていることから、後世の人々によって仮託されつつ現行の形になったと推測されている。金谷治氏は、『管子』はおおよそ戦国中期から漢の武帝・昭帝期のころまで、およそ300年にわたって書き継がれてきたとする。

全86篇(現存76篇)中、術数文献と関わりが深いのは、幼官(玄宮)篇、四時篇、五行篇、軽重己篇である。(現存の封禅篇は『史記』天官書からの引用なので省略。)

幼官(玄宮)篇は、時令思想を述べており、四季に合わせた政令・行事・刑法・兵法などを記す。

四時篇は、玄宮篇と同じく時令思想を述べるが、内容が異なる部分が多い。また玄宮篇と比べ、兵法に関する記述は乏しい。

五行篇は、前半では陰陽・五行との関わりから見た政治の要綱を述べ、中盤では黄帝が五声を作り、そこから五行を創始し天時の運行を整えたことを述べ、後半では季節ごとの時令思想を述べる。

軽重己篇も時令思想を記すが、上の三篇と異なる内容も多い。なお、禁蔵篇、七臣七主篇、度地篇にも一部時令思想が確認できる。

[関連研究]

町田三郎「時令説について 管子幼官篇を中心にして」(『文科紀要』第9号、1962年)

相原俊二「「管子」書と五行説」(『東洋学報』第50号(1)、1967年)

金谷治「『管子』の思想(下)」(『管子の研究 中国古代思想史の一面』所収、岩波書店、1987年)

久保田剛「管子幼官篇と陰陽五行説」(『哲学』第39号、1987年)

遠藤哲夫『管子 上』(明治書院、1989年)

遠藤哲夫『管子 中』(明治書院、1991年)

遠藤哲夫『管子 下』(明治書院、1992年)

『呂氏春秋』(りょししゅんじゅう)

秦の呂不韋(りょふい)(?~前235)が門客の論説を集めて編纂した書。十二紀・八覧・六論より成る。特に十二紀や八覧の応同篇・召類篇が術数文化と深く関わっている。

十二紀は孟春紀・仲春紀・季春紀のように、四季を三つに分けた後、それぞれ五篇を附す。その中でも、孟春(1月)から季冬(12月)にかけて、月ごとの時令思想(月ごとの天候に合わせた政令や施策をまとめたもの)を述べる。

孟春では、例えば立春にかかる一連の時令思想を述べる。具体的には、天子が臣下を連れて迎春の儀式を行うべきことや、禁令を緩和し、善行を称え、貧困政策を為すべきことを述べる。

また、孟春中に吉日を選び五穀の豊穣を祈願することや、農事の開始を布告すること、戦争を行ってはならないことなど、多くの政策を述べる。なお、時令思想は、陰陽思想や五行思想の影響を受けている。

八覧の応同篇は、物類相感(同じ性質を持つもの同士が互いに影響すること)思想を述べる。例えば、「深淵に住む龍に祈れば雨が降る」「軍隊の止まった所にはいばらが生える」のような事例を挙げる。

召類篇も同じく物類相感について述べ、これに関連する説話(士尹池と司城子罕の問答・趙簡子と史黙の問答)を載せる。(その他の篇でも、物類相感に関する言説は散見する。)

[関連研究]

岸本良彦「氏春秋の時令説に関する一考察-上-」(『明治薬科大学研究紀要』人文科学・社会科学21号、1991年)

岸本良彦「氏春秋の時令説に関する一考察-下-」(『明治薬科大学研究紀要』人文科学・社会科学二十二号、1992年)

楠山春樹『呂氏春秋 上』(明治書院、1996年)

楠山春樹『呂氏春秋 中』(明治書院、1997年)

遠藤聡美「『呂氏春秋』にみる時令思想の意義とは その発展と凋落を追って」(『国文目白』第52号、2013年)

武田時昌「物類相感説と精誠の哲学」(『術数学の思考』所収、臨川書店、2018年)

※詳細な巻数やテキストの情報については、楠山春樹『呂氏春秋 上』(明治書院、1996年)を参照。

『淮南子』(えなんじ)

淮南王劉安(りゅうあん)(前179~前122)によって編纂された書。『老子』『荘子』のようないわゆる道家思想に則る論述が多い一方、儒家・法家・兵家などの言も取り入れている。

術数文化と特に関わりの深い篇として、天文訓・墬形訓・時則訓・覧冥訓が挙げられる。以下、篇ごとに紹介する。

天文訓は、宇宙の生成論から五星・八風・刑徳・音律・暦法など、広く天文に関わる内容を豊富に含む。

墬形訓は、地域・山水などの地理をまとめる。『山海経』と一致する部分が多い。また、五行説や王相説など、術数的な記述も確認できる。

時則訓は、時令思想を説く。『呂氏春秋』十二紀と『礼記』月令篇と一致する部分が多い。

覧冥訓は、天神相関や物類相感に関する説話を複数収録する。

[関連研究]

金谷治『淮南子の思想』(平楽寺書店、1959年)

楠山春樹『淮南子 上』(明治書院、1979年)

田中柚美子「鄒衍の世界観と淮南子墜形訓」(『東方宗教』第四十一号、1973年)

松田稔「『淮南子』の神話的記述と『山海経』十日・共工・禹の治水を中心として」(『国学院雑誌』101号(12)、2000年)

小倉聖「『淮南子』天文訓「二十歳刑徳」の「刑」・「徳」運行について」(『史滴』第34号、2012年)

※詳細な巻数やテキストの情報については、楠山春樹『淮南子 上』(明治書院、1979年)などを参照。

『史記』(しき)

司馬遷(前145or前135~前87?)の編纂。『史記』は本紀・表・書・世家・列伝から成るが、特に書の一部(楽書・律書・歴書・天官書・封禅書)は術数文化に深く関わる内容である。

楽書は、音楽が人々の心を和同させる働きがあり、政治教化の上で重要であることを述べる。一方、「仁は楽に近く、義は礼に近し。楽は和を敦くし、神に率いて天に従う。」「故に聖人、楽を作りて以て天に応じ、礼を作りて以て地に配す。」のように、音楽と天との関係性・感応性を強調する。

さらに、かつて衛の霊公が晋の平公と会見した際、殷の紂王に由来する淫靡な音楽を演奏させると、天地と感応し、大暴風雨や大飢饉、田畑の荒廃が起こったという話が収録されている。

律書は、音律と軍事の関係性や、八風の性質(司る方角や十二支、示す意味など)、律数(十二律の律管の長さの数値)を述べる。

歴書は、歴代帝王が行った暦の制定について解説する。五徳終始説が関係している他、「歴術甲子篇」という暦表が附されている。(後人の加筆説有り)

天官書は、主に主要な星についてまとめている。具体的には、北斗星や五星(歳星・熒惑・鎮星・太白・辰星)、二十八宿の運行や性質、占術について述べる。また、雲気占や八風占についても言及している。

封禅書は、舜から前漢景帝に至るまでの歴史と封禅の関係性について述べる。なお、「封」は土を高く盛り上げて壇を作って天を祭ること、「禅」は泰山の麓にある小山の地を払い清めて山川を祭ることをそれぞれ指し、封禅は帝王が天地に自身の即位を知らせる儀式である。

[関連研究]

頼惟勤「史記の律書について」(『お茶の水女子大学人文科学紀要』第14号、1961年)

竹内弘行「司馬遷の封禅論 「史記」封禅書の歴史記述をめぐって」(『哲学年報』第34号、1975年)

吉田賢抗『史記 四(八書)』(明治書院、1995年)

田中良明「天象解釋の展開 『史記』天官書・『漢書』天文志を中心に」(『大東文化大學中國學論集』第29号、2011年)

※詳細な巻数やテキストの情報については、吉田賢抗『史記 一(本紀上)』(明治書院、1973年)などを参照。

『漢書』(かんじょ)

後漢の班固(はんこ)(32~92)らの撰。前漢および新の時代を対象とした歴史書。紀・表・志・伝から成るが、特に律暦志・郊祀志・天文志・五行志は術数文化との関わりが深い。

律暦志は、主に劉歆の三統暦に関する記述を収録し、上下に分かれている。上では、律暦(音律と暦法)の原理や歴史について述べる。下は「統母(三統暦の基本定数)」「紀母(五星の運行の基本定数)」「五歩(五星の運行)」「統術(統母に基づき日月の位置を計算する方法)」「紀術(統母に基づき五星の位置を計算する方法)」「歳術(歳星の位置を求める方法)」「贏宿(歳星運動の遅速について)」「次度(十二次・二十八宿・二十四節気について)」など、三統暦を定めるための情報をまとめる。また、「世経(太古より漢までの系譜や、その時々の天象記事、暦法について述べたもの)」も載せる。

郊祀志は、上下に分かれ、上では太古より前漢武帝が封禅の儀を行うまでの歴史を、祭祀という点からまとめる。下では、武帝の後半から王莽までの祭祀に関する記述を載せる。

天文志は、前半では天極星、文昌宮、北斗星や五星、二十八宿など、星々の運行や性質を述べる。中盤では、太陽と月の運行、(八)風占、暈占(太陽や月の周りに見える光の輪の色や数などによって占う術)、雲気占を収録する。後半では、春秋時代から前漢哀帝までの時代に現れた天文事象をまとめている。

五行志は、上・中之上・中之下・下之上、下之下に分かれている。それぞれ実際にあった出来事を述べ、それに対する董仲舒や劉向・劉歆や京房『易伝』などの解釈を附す。いわゆる災異説(天が天変地異や自然災害を起こし、君主に警告するという説)が確認できる。

上では、まず五行に関する総論を述べる。その上で、木火土金水の性質について概説する。各概説の後ろには、歴史上の火災(火行)、大水(水行)などの出来事を記載する。

中之上では、「五事(貌・言・視・聴・思心)」についてまとめる。それぞれ然るべき状態でなければ、様々な災異がふりかかることを述べる。

中之下では、特に君主の「視」に不備がある、つまり明哲ではなく、暗愚である場合に起こる災異をまとめる。

下之上では、特に君主の「思心」に不備がある、つまり臣下に対し寛大に包容できていない場合に起こる災異をまとめる。

下之下では、日蝕や彗星・隕石などの記事を集める。

[関連研究]

久保田剛「漢書五行志に見られる董仲舒の説と春秋繁露の災異説」(『哲学』第17号、1965年)

橋本敬造・川勝義雄「漢書律暦志」(『世界の名著 中国の科学』所収、1975年)

小竹武夫『漢書 上』(筑摩書房、1977年)

能田忠亮・藪内清『漢書律暦志の研究』(臨川書店、1979年)

狩野直禎・西脇常記『漢書郊祀志』(東洋文庫、1987年)

坂本具償「「漢書」五行志の災異説 董仲舒説と劉向説の資料分析」(『日本中国学会報』第40号、1988年)

釜田啓市「『漢書』「五行志」災異理論の再検討」(『中国研究集刊』第18号、1996年)

和田恭人「『漢書』五行志中の劉向說について 『洪範五行傳論』との乖離について」(『人文科学』第7号、2002年)

和田恭人「『漢書』五行志に見える災異説の再檢討 董仲舒説について」(『大東文化大學中國學論集』第20号、2003年)

田中良明「『漢書』天文志に見える天人の関係性」(渡邉義浩氏編『両漢儒教の新研究』所収、汲古書院、2008年)

田中良明「東洋の學藝 『漢書』天文志と『洪範伝』」(『東洋文化』第105号、2010年)

田中良明「天象解釋の展開 『史記』天官書・『漢書』天文志を中心に」(『大東文化大學中國學論集』第29号、2011年)

平澤歩「『漢書』五行志と劉向『洪範五行伝論』」(『中国哲学研究』第25号、2011年)

小林春樹「『漢書』「五行志」における董仲舒の役割」(『東洋研究』第187号、2013年)

田中良明「『漢書』五行志に於ける漢代日食記事」(『東洋研究』第214号、2019年)

緯書(いしょ)

儒教の経典を神秘的な角度から解釈した書。『易』『書』『詩』『礼』『楽』『春秋』『論語』『孝経』を根拠とした緯書がそれぞれ複数存在する。また、「河図」「洛書」のように経典を根拠としない緯書も存在する。

内容は、儒教の経義に関連させながら予言・禍福・吉凶を説く。また、天文・暦法・地理などを説くものも存在する。おおよそ漢代に流行し、当時緯書と共に流行していた「図讖(としん。未来を予言したもの)」とあわせ、「讖緯(しんい)思想」「讖緯説」と称されることもある。

新の王莽(おうもう)や魏の曹丕(そうひ)など、王朝簒奪の根拠として用いられることが多かった。従って、隋の煬帝をはじめとして、多くの皇帝が禁書政策をとった。現在では、『太平御覧』や『開元占経』など、諸書において断片的に引用された形でのみ確認できる。これらを収集・整理したものとして、安居香山・中村璋八編『重修緯書集成』(明徳出版社、1971年)が存在し、緯書研究の基本書とされる。

[現存篇目一覧](『緯書と中国の神秘思想』参照)

易緯…乾鑿度・乾坤鑿度・弁終備・通卦験・稽覧図・乾元序制記・是類謀・坤霊図

書緯…考霊曜・璇璣鈐・刑徳放・運期授・帝命験

詩緯…含神霧・推度災・汎歴枢

礼緯…含文嘉・稽命徴・斗威儀

楽緯…動声儀・稽曜嘉・叶図徴

春秋緯…演孔図・元命苞・文燿鉤・運斗枢・感精符・合誠図・考異郵・保乾図・漢含孶・佐助期・握誠図・潜潭巴・説題辞

孝経緯…援神契・句命決

尚書中候…握河紀・考河命・洛予命

論語讖…比考・撰考・摘輔象

河図…括地象・始開図・挺佐輔・帝覧嬉・竜魚河図・赤伏符・録運法・帝通紀

洛書…霊凖聴・甄曜度・摘六辟・宝号命

[関連研究]

安居香山・中村璋八『緯書の基礎的研究』(漢魏文化研究会、1966年)

安居香山・宇野精一・鈴木由次郎『緯書』(明徳出版社、1969年)

安居香山・中村璋八編『重編緯書集成』(明徳出版社、1971年)

平秀道「魏の文帝と図緯」(『龍谷大学論集』第404号、1974年)

安居香山『緯書と中国の神秘思想』(平河出版社、1988年)

『論衡』(ろんこう)

王充(27~永元年間(89~104))の著述。全85篇中、多くの篇が深く術数文化と関わっている。(天命、天人相関、物類相感、陰陽、五行、符瑞、鬼、各種占術、祭祀など)それぞれ説を引用した上で、王充の意見を述べるというスタイルが多い。以下、関連する篇ごとの簡略な紹介を行う。

命禄篇…人間の貴賎や貧富は天命に支配されていることを述べる。

気寿篇…身体の強弱や寿命の長短は、天からどれ程気を受けたのかに拠ることを説く。

幸偶篇…人の遇不遇は、その人の実力ではなく、運によるものであることを述べる。

命義篇…広く天命について論じる。

無形篇…寿命は天性によって決定しているから増減できないことを説く。

率性篇…天性という観点から教育論を述べる。

吉験篇…人が高い身分になる天命を受けるときは、様々な吉験(めでたいしるし)が現れることを述べる。

偶会篇…結果は天命によって決まっているのであり、人の行動はたまたまその天命と同じになっただけだと主張する。

骨相篇…天命は骨格を含めた身体の形によって分かると説く。

初稟篇…人は天命と天性を母の胎内にいる時点で得ていると述べる。

本性篇…天性について、孟子をはじめとする学者の説を引いて批判する。

物勢篇…万物の発生を五行思想という観点から説くと共に、五行相克説を否定する。

奇怪篇…聖人が天から生まれたという説を批判する。

書虚篇…主に、各書の不思議な説話が嘘だと断じる。

変虚篇…特に星関係の不思議な説を取り上げて解釈する。

異虚篇…特に鳥獣(瑞獣を含む)や草木に関する不思議な説を取り上げて解釈する。

感虚篇…特に天候に関する感応説話を取り上げて解釈する。

福虚篇…儒者の「天によって善行者には福、悪行者には禍がくる」という説に対して、特に善行を取り上げて批判する。

禍虚篇…福虚篇に続き、儒者の「天によって善行者には福、悪行者には禍がくる」という説に対して、特に悪行を取り上げて批判する。

龍虚篇…「落雷の際に、天が龍を天上に引き上げる」という俗説を批判し、龍が雲だと論じる。

雷虚篇…「落雷による被害は天の怒り」という俗説について、陰陽・五行思想を用いて分析する。

道虚篇…道術によって不老長生を獲得できるという考え方を否定する。

談天篇…儒者や司馬遷が述べる天の生成に関する古い伝説を批判すると共に、鄒衍の大九州説についても王充の見解を示す。

説日篇…儒者が述べる太陽や月・星の運行にまつわる説について批評を加える。

寒温篇…君主の感情や賞罰が寒暑に関わるという説を批判する。

譴告篇…君主の政治と災異との密接な関係性を述べる説(いわゆる災異説)について批判する。

変動篇…譴告篇と同じく、災異説について複数挙げ、それぞれ批判する。

明雩篇…洪水や日照りの原因が陰陽の気によることを述べ、雩(あまごい)の有効性についても論じる。

順鼓篇…『春秋』に見える「鼓して牲を社に用う」の解釈について、陰陽思想や五行思想を用いつつ分析する。

乱龍篇…董仲舒が唱えた雨乞いの儀式について検討する。

遭虎篇…虎が人間を食い殺すことと失政を関連させる説について批判する。

商虫篇…虫が穀物を食べることを役人のせいにする説について批判する。

講瑞篇…符瑞(帝王が天命を受ける兆しや善政の証として現れるもの。瑞祥とも)について論じる。

指瑞篇…符瑞の中でも、特に「騏驎・鳳凰が聖王のために現れる」という儒者の説について反論する。

是応篇…「甘露」「景星」「萐脯」「蓂莢」「屈軼」などの符瑞に関する儒者の説を批判する。

治期篇…治乱の時期は天命によって決まっていることを述べる。

自然篇…儒家の天人相関思想を批判する。

感類篇…特に雷雨と天の感応する説話を複数挙げて批判する。

宣漢篇…「漢には瑞祥が現れておらず、未だ太平でない」という儒者の説を取り上げて批判する。

恢国篇…漢の治世において、様々な瑞祥が現れたことを述べる。

験符篇…恢国篇と同じく、漢の治世において、様々な瑞祥が現れたことを述べる。

論死篇…人は死んだら「鬼(死者のたましい)」になるという俗説に対し批判する。

死偽篇…論死篇を承けて、鬼に関する怪奇な伝承を挙げて否定する。

紀妖篇…始皇帝の隕石の話や、張良と黄石公の話など、不可思議な説話を挙げて王充なりに解説する。

訂鬼篇…鬼は人間の疾病の結果見えてしまうものであり、鬼によって人が死ぬことはないと主張する。

言毒篇…まむし・蛇の毒や小人の言毒は、どちらも強すぎる陽気によるものであり、また火行の性質を持つ。従って、「火の夢やまむし・蛇の夢を見れば口舌の禍を引き起こす」のように占う。いわゆる物類相感を説く。

薄葬篇…薄葬に賛成する一方、墨家の有鬼論に批判を加える。

四諱篇…当時存在していた四種の避諱(西側に増築するのを忌む・処刑された者の墓参りを忌む・婦人のお産を忌む・正月と五月生まれの子を忌む)についてそれぞれ解説する。

讕時篇…「工事する日の歳神・月神の位置関係が悪ければ死者がでる」という俗説について批判する。

譏日篇…疾病や災害の原因を日の吉凶に求めることや、「○○の日は○○すべきではない」のような考え方について反論する。

卜筮篇…「卜(亀甲を灼いて行う占い)」や「筮(めとぎを数えて行う占う)」は、必ずしも天意を得られる訳ではないことや、これらの占いを信じすぎるべきではないことを説く。

弁祟篇…譏日篇と同じく、日選びの習慣について批判するが、「鬼のたたり」と日選びを関連付けて説明している点で異なる。

難歳篇…太歳に関する占い(方位占と択日占の要素を持つ)について批判する。

詰術篇…図宅術(住宅に関する吉凶を占う術)を批判する。

解除篇…鬼を払う儀式について論難する。

祀義篇…鬼が起こすと信じられていたたたりについて批判する。

祭意篇…祭祀について解説すると共に、「恩返し」「先祖を敬い祭る」のために行うことが正しい祭祀だと述べる。

実知篇…聖人の預言じみた発言は、占いや不思議な力によるものではなく、並外れた聡明さによって成し遂げられていることを述べる。

知実篇…実知篇に続き、聖人の聡明さを分析する。

[関連研究]

山田勝美『論衡 上』(明治書院、1976年)

吉田照子「『論衡』における「命」の性格 「気」と連関して」(『福岡女子短大紀要』第15号、1978年)

山田勝美『論衡 中』(明治書院、1979年)

清水浩子「王充の陰陽五行観について」(『大正大学大学院研究論集』第3号、1979年)

清水浩子「鬼神について 『論衡』を中心として」(『大正大学綜合佛教研究所年報』第3号、1981年)

山田勝美『論衡 下』(明治書院、1984年)

清水浩子「王充の祭祀觀についての一考察」(『中国学研究』第16号、1997年)

山口円「『論衡』における河図・洛書について」(『中国思想史研究』第25号、2002年)

松田稔「『論衡』と『山海経』「鬼門・神茶・鬱壘」の記述を中心として」(『國學院雜誌』第106号(11)、2005年)

樺澤亜呂「『論衡』における「災變」と「瑞應」」(『東アジア』第15号、2006年)

大久保隆郎『王充思想の諸相』(汲古書院、2010年)

佐々木聡「王充『論衡』の世界観を読む 災異と怪異、鬼神をめぐって」(『アジア遊学』第187号、2015年)

武田時昌「王充の迷信批判と占術論―「気」の哲学」(『術数学の思考』所収、臨川書店、2018年)

武田時昌「王充の「気」の自然学」(『術数学の思考』所収、臨川書店、2018年)

笠原祥士郎『王充思想研究』(朋友書店、2020年)

『五行大義』(ごぎょうたいぎ)

蕭吉(しょうきつ)(出没年不明。およそ梁の武帝期(502~549)から614or615年没か)撰。『北史』芸術伝にて蕭吉が紹介されているものの、『五行大義』の書名は見えず、「隋、禅を受くるに及んで、上儀同に進み、本官太常を以て古今の陰陽書を考定す。」と記されるのみである。この「陰陽書」に『五行大義』が含まれている可能性があるが、詳細は不明。(中村璋八氏は、中国では古くから「陰陽」と「五行」が混同されていたことから、「陰陽書」が『五行大義』のことを指すと推測する。)

『五行大義』は、『隋書』経籍志にも記載されていないが、『旧唐書』経籍志に「五行記五巻、蕭吉撰」とあり、その後の『新唐書』芸文志・『宋史』芸文志にもその名が確認できる。一方、それ以降の目録で確認ができないので、恐らく宋代より後の時代に散逸してしまったと思われる。ただし、日本に伝わった『五行大義』は失われることなく受け継がれ、中国へ逆輸入された。

日本では、『続日本紀』天平宝字元年(757)の勅に、陰陽生必読の書として『五行大義』が挙げられている。従って日本には、遅くとも奈良時代には伝えられたことが分かる。そして、陰陽道や神道・仏教など、多方面に影響を与え続けた。

以下のようなテキストが存在する。

鈔本

・元弘相伝本(竹本家・穂久邇文庫蔵、元弘三年(1333)の奥付)

・天文鈔本(天理図書館・吉田文庫蔵、最も古い奥付は康治元年(1142))

・高野山本(高野山・霊宝館蔵、宝治二年(1248)の奥付。卷五のみ)

・旧宝玲文庫本(天理図書館蔵、元久三年の奥付、卷五の後半のみ)

刊本

・元禄刊本(元禄十二年(1699)。元弘相伝本が底本)

・佚存叢書本(寛政十一年(1799)。)

・嘉慶刊本(嘉慶九年(1804)。佚存叢書本が底本)

[項目概要]

巻第一:釈名、論支干名、論数

巻第二:論相生、論配支干、論五行相雑、論徳、論合、論扶抑、論相剋、論刑、論害、論沖破

巻第三:論雑配

巻第四:論律呂、論七政、論八卦八風、論情性、論治政

巻第五:論諸神、論五帝、論諸官、論諸人、論禽蟲

[関連研究]

・中村璋八『五行大義の基礎的研究』(明徳出版、1976年)

・中村璋八『五行大義校註』(汲古書院、1984年)

・中村璋八・古藤友子『五行大義 上』(明治書院、1998年)

・中村璋八・清水浩子『五行大義 下』(明治書院、1998年)

参考文献

・中村璋八・古藤友子『五行大義 上』(明治書院、1998年)

『霊台秘苑』(れいだいひえん)

北周・庾季才(ゆきさい)(516〜603)撰。書目には、『隋書』経籍志に「霊台秘苑一百十五巻、太史令庾季才撰」、『旧唐書』経籍志に「霊台秘苑一百二十巻、庾季才撰」、『新唐書』芸文志に「庾季才霊台秘苑一百二十巻」とあり、『隋書』は巻数が異なるものの、『隋書』芸術伝の庾季才の項に「撰霊台秘苑一百二十巻」とあり、120巻本が一般的であったと考えられる。そのほか、『通志』芸文略に「霊台秘苑百二十巻、隋太史令庾季才撰」、『四庫全書総目提要』(以下、『四庫提要』と略称)に「霊台秘苑十五巻、北周太史中大夫新野庾季才原撰」とあり、『四庫提要』では巻数が大きく減少していることがわかる。これは、宋代に王安礼等の重修を経ているためである。

『四庫全書総目提要』術数類の存目には120巻の『霊台秘苑』について記載があるものの、現在確認できるのは15巻本のみであり、15巻本は文淵閣四庫全書に収録されるほか、京都大学人文科学研究所(以下、人文研と略称)、静嘉堂文庫(2冊本と4冊本の2種)、東北大学、北京国家図書館や台湾国家図書館などに所蔵される。その一部を比較すると、大きく二種に分けることができる。

現在確認している範囲では、①静嘉堂文庫本(2冊本)と人文研本のグループ、②静嘉堂文庫本(4冊本)、台湾国家図書館本、四庫全書本のグループである。両者はいずれも冒頭に「歩天歌」を引用するが、それぞれ「歩天歌」の星座の順序が異なる。①は紫微垣、太微垣、天市垣、二十八宿の順、②は二十八宿、太微宮、紫微宮、天市垣の順である 。また、巻二以降も項目の名称は類似するが内容が大幅に異なっており、今後細かく比較する必要がある。

また、「歩天歌」は隋、あるいは唐代に作られたと考えられており、15巻本には他にも元や明の内容が含まれており、120巻本の内容をどこまで残しているか、あるいは本当に120巻本を重修して十五巻本が成ったのかは明らかではない。   

〔項目概要〕(人文研本)
歩天歌、星図/占例/主管/星纂/十二分野/天干地支/土圭晷景/雲気(戦に関する記述が中心)/霧、虹蜺/風気/天占、地占、星総(三垣、二十八宿)/太陽/太陰/五星/三垣雑座・二十八宿と他の星座/瑞星/妖星/客星/流星/隕石
※四庫全書本では、星総(三垣、二十八宿)は占例の後にある。

[関連研究]

『文淵閣四庫全書』子部術数類
『湖北先正遺書』子部
『秘書集成』12、占筮類(団結出版社、1944年)
韓連武「《霊台秘苑》的科学価値」(『文献』1998年第1期)
  ※人文研本の画像は、「東方学デジタル図書館」にて公開されている。
http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db-machine/toho/html/C003menu.html

参考文献

前原あやの「天文占書の解題と「天文占書フルテキストデータベース」の意義」

(『関西大学東西学術研究所紀要』第49号、2016年)

『乙巳占』(いつしせん)

唐の李淳風(りじゅんぷう)(602〜670)撰。李淳風は『晋書』天文志や『隋書』天文志の著者でもある。書目では、『旧唐書』経籍志に「乙巳占十巻、李淳風撰」、『新唐書』芸文志では2巻多く「乙巳占十二巻」、『宋史』芸文志に「李淳風乙巳占十巻」の記述がある。このほか『崇文総目』や『直斎書録解題』、『文献通考』に「乙巳占十巻」、『通史』芸文略に「乙巳占十二巻、秘閣郎李淳風撰」とある。

十万巻楼叢書の刊本は10巻本であるが、天津図書館蔵清抄本(続修四庫全書所収)は9巻本で、内容を比較すると項目が前後していたり、多少の異同がある。そのほか、静嘉堂文庫や香港大学に明写本があり、敦煌文書にも『乙巳占』の抄本がある(S.2669V,P.2536V) 。

〔項目概要〕(十万巻楼叢書本)
天/日/月/分野、占例、天文家、修徳など/五星/各五星と中外官/流星/客星/彗星、孛星/雑星、妖星/雲気、五星気など/戦と気象に関する占い

[関連研究]

『続修四庫全書』第1049冊
『百部叢書集成』十万巻楼叢書
『叢書集成初編』0712~0713(中華書局、1985年)
薄樹人主編『中国科学技術典籍通彙』天文巻第四冊(河南教育出版社、1996年頃)
関増建「李淳風及其《乙巳占》的科学貢献」(『鄭州大学学報(哲学社会科学版)』第35巻第1期2002年)

参考文献

前原あやの「天文占書の解題と「天文占書フルテキストデータベース」の意義」

(『関西大学東西学術研究所紀要』第49号、2016年)

『天文要録』(てんもんようろく)

唐の李鳳(622~674)が麟徳元年(664)に撰述した。しかし中国では早くに散逸し、日本でも前田育徳会尊経閣文庫(以下、尊経閣文庫と略称)に写本があるほか、その転写本である人文研本(25巻分)、また国立天文台本など数種しか現存しない。書目では日本の藤原佐世『日本国見在書目録』に「天文要録五十」とあるのみで、中国ではその名を留めない。

尊経閣文庫に残るのも、全五十巻のうち二十六巻分に過ぎない。しかし、日本では天文道の安倍氏(中世より賀茂氏も)や天文密奏宣旨の中原氏の天文奏文に、『天地瑞祥志』などとともに占断の典拠として利用される。また戸板保佑編『天文四伝書』(天理大学附属天理図書館蔵)「天文秘書」に『天文要録』の巻一(目録・序)が採録されており、日本ではしばしば用いられた形跡がある。元来は土御門家に代々継承されていたようであるが、土御門家所蔵本は現存しない。

内容は日月星辰に特化しており、各星座の気に関する項目はあるが、雲気、風角などは含まない。三家それぞれを内宮(官)と外官(宮)に分類する 。中宮ではなく内宮と称する例はこれと『天地瑞祥志』のみである。 

〔項目概要〕
日/月/五星/二十八宿/石氏/耳〔甘〕氏/巫咸
  ※完本が現存しないため、巻一の目録によった。

[関連研究]

薄樹人主編『中国科学技術典籍通彙』天文巻第4冊(河南教育出版社、1996年頃)
高柯立撰編『稀見唐代天文史料三種』(国家図書館出版社、2011年)
中村璋八「天文要録について」(同『日本陰陽道書の研究』増補版、汲古書院、1985年。初出は1968年)
小林春樹、山下克明編『『天文要録』の考察』[一](大東文化大学東洋研究所、2011年)
田中良明「前田尊経閣本『天文要録』について」(神鷹徳治・静永健編『旧鈔本の世界』勉誠出版、2011年)
細井浩志「国立天文台本『天文要録』について―旧内閣文庫本の再発見―」(『東洋研究』第190号、2013年)
※国立天文台本の画像は、国立天文台図書室の「貴重書データベース」にて公開されている。http://library.nao.ac.jp/kichou/archive/0404/kmview.html

参考文献

前原あやの「天文占書の解題と「天文占書フルテキストデータベース」の意義」

(『関西大学東西学術研究所紀要』第49号、2016年)

『開元占経』(かいげんせんけい)

 現在最もよく参照される天文占書である。唐の瞿曇悉達が開元年間に編纂した。宋代以降行方がわからなくなり、明の万暦44年(1616)に程明善が古抄本を発見したとされる。全120巻。現在容易に参照できるものは、文淵閣四庫全書本、明大徳堂本(『中国科学技術典籍通彙』所収)、清恒徳堂刊本(『秘書集成』所収)であるが、テキスト間の文字の異同が多い。日本・中国・台湾に抄本が多数伝存し、恒徳堂刊本は複数の機関に所蔵されている。佐々木聡氏は現在確認できる26種のテキストをほぼ全て調査し、程明善本系統、東洋文庫本系統、成化閣本系統の3種に分類した 。このうち成化閣本系統は、元・明の宮中において秘蔵され続け、清代に何らかの経緯で流出し、流布したと佐々木氏は述べる。

 書目では、『新唐書』芸文志に「大唐開元占経一百一十巻、瞿曇悉達集」、『宋史』芸文志に「瞿曇悉達開元占経四巻」、『通史』芸文略に「大唐開元占経一百一十巻」とあり、「今存三」と注するなど、宋代以降完本が存在しない様子が目録からもうかがえる。
 内容は宇宙構造論に始まり、天地日月について述べた後、星座を三家に分けて述べる。また後半には、インドの暦を漢訳した九執暦や、怪異に関する占いにも触れる。

〔項目概要〕(恒徳堂刊本)
 天体渾宗/天/地/日/月/五星/二十八宿/石氏中官/石氏外官/甘氏中官/甘氏外官/巫咸中外官/流星/雑星/客星/妖星/彗星/風、雨、雲気など/霜、雪、雹など/雷、霆/暦法/星図/穀物、植物/人、鬼神/服、宮殿などの怪異/禽、獣、牛、馬など

[関連研究]

『文淵閣四庫全書』子部術数類
『秘書集成』9~12、占筮類(団結出版社、1994年)
薄樹人主編『中国科学技術典籍通彙』天文巻第五5冊(河南教育出版社、1996年頃)
『開元占経』中華易学集成・天文星象大全(中央編訳出版社、2006年)
瞿曇悉達『開元占経』上・下(九州出版社、2012年)
安居香山「大唐開元占経識語考」(『漢魏文化』創刊号、1960年)
安居香山「東洋文庫所蔵鈔本大唐開元占経補考」(『漢魏文化』第2号、1961年)
安居香山「大唐開元占経異本考」(『東京教育大学文学部紀要』第32号、1961年)
安居香山「台湾残存鈔本を中心とした大唐開元占経異本再論」(『漢魏文化』第8号、1971年)
黄復山「《開元占経》版本流伝考論」(殷善培、周徳良主編『叩問経典』台湾学生書局、2005年)
佐々木聡「『開元占経』の諸抄本と近世以降の伝来について」(『日本中国学会報』第64集、2012年)
佐々木聡『『開元占経』閣本の資料と解説』(東北アジア研究センター、2013年)

※関西大学所蔵の恒徳堂刊本の画像は、「CSAC Digital Archives」にて公開されている。https://www.iiif.ku-orcas.kansai-u.ac.jp/books/202243389

「CSAC Digital Archives」http://www.db1.csac.kansai-u.ac.jp/csac/index.php
また、人文研本(残3巻)の画像は、「東方学デジタル図書館」にて公開されている。
http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/db-machine/toho/html/C004menu.html

参考文献

前原あやの「天文占書の解題と「天文占書フルテキストデータベース」の意義」

(『関西大学東西学術研究所紀要』第49号、2016年)

『観象玩占』(かんしょうがんせん)

唐の李淳風撰、あるいは明の劉基(りゅうき)(1311~1375)撰とされることが多いが、実際には後世の仮託と考えられており、撰者は不詳。成立年代の特定も難しいが、『開元占経』からの引用もあり、宋代頃の成立と考えられる。現在、『続修四庫全書』子部術数類に清華大学図書館蔵明抄本(50巻本)の影印が収録されるほか、日本では宮内庁書陵部(以下、書陵部と略称)や東文研、人文研(49巻本)、尊経閣文庫、蓬左文庫、慶應義塾聊斎文庫などにも所蔵される。このうち東文研本には劉基の序があり、蓬左文庫本ははじめに天文図があって、巻数の表記も大きく乱れている。また、慶應義塾聊斎文庫本は簡易の図を交え、『天元玉暦祥異賦』と共通する内容であり、他の『観象玩占』とは全く異なる。

抄本は中国国内にも数多く存在し、中でも中国・国家図書館、南京図書館には複数部所蔵される。そのほか『朝鮮史』第五編第八巻には、英祖7年(1731)10月4日に「観象監、観象玩占ヲ印進ス」との記述が見られ、『観象玩占』は韓国にも伝わり観象監によって「印進」されたことがわかる 。この時のものかは定かではないが、朝鮮刊本は、韓国・国立中央図書館、ソウル大学中央図書館(奎章閣)のほか、アメリカ・ハーバード燕京研究所(ハーバード大学内)にも現存する。ハーバード燕京研究所には朝鮮本以外にも3部の明鈔本がある。

『観象玩占』のうち筆者が確認した続修四庫全書本、東文研本、人文研本、尊経閣文庫本、書陵部本について、特に目録や巻一の内容を比較すると、次のような相違がある。

続修四庫全書本と東文研本はともに全50巻を甲集から癸集の十干に分類し、いずれも巻一に天と地に関する記述を載せるが、人文研本と尊経閣文庫本、書陵部本には十干の分類はなく、巻一には天に関する記述のみを載せる。ほかにもそれぞれに占辞の配列が異なる、内容に増減があるなどの相違がある。特に東文研本は、他のテキストと文の並びが異なる上に、細目が大変多い。改行位置なども含め、全体的にかなり整った姿を有する。これら相互の関係性については、今後より一層の調査、検討が必要である。
 書目では、『明史』芸文史に「観象玩占十巻、不知撰人、或云劉基輯」、『国史経籍志』に「観象玩占四十九巻」とある。

〔項目概要〕(続修四庫全書本)
天体/天変/地変※/日/月/五星/二十八宿/太微宮垣/紫微宮垣/天市垣/三垣雑座/二十八宿雑座/妖星、流星、隕星など/雲気/雷、雹、霜など/風角/地、日、月、星/拾遺
 ※地変は、続修四庫全書本と東文研本にはあるが人文研本と尊経閣文庫本、書陵部本にはない。また三垣は東文研本では紫微垣、天市垣、太微垣と並ぶが、人文研本、書陵部本では太微垣、紫微垣、天市垣の順に並び、三垣雑座の順序は、続修四庫全書本では太微垣、紫微垣、天市垣の順だが、東文研本では紫微垣、太微垣、天市垣の順、人文研本ではただ星座のみが並ぶ。また、風角以降はテキストによって項目が大きく異なる。

[関連研究]

 『続修四庫全書』第1049冊
 安居香山「大唐開元占経異本考」(『東京教育大学文学部紀要』第32号、1961年)第3章(ロ)

参考文献

前原あやの「天文占書の解題と「天文占書フルテキストデータベース」の意義」

(『関西大学東西学術研究所紀要』第49号、2016年)

『景祐乾象新書』(けいゆうけんしょうしんしょ)

北宋・楊惟徳(よういとく)等撰。もとは30巻だが、うち12巻が続修四庫全書に影印される。そのほか、『秘書集成』と『羅雪堂先生全集』に巻3・4のみの刊本が影印され、国会図書館に清写本30巻・拾遺1巻、東文研に2巻、人文研に10巻が現存し、中国・旧北平図書館蔵の明鈔本(マイクロフィルム)30巻がある。しかし王重民氏は、明鈔本は偽作であると指摘する 。王重民氏が指摘するのは北平図書館本のことと考えられるが、事実、明鈔本と巻3、4のみの残巻本の内容は大きく異なっており、区別して考える必要がある。田中良明氏は、中国・国家図書館本系統が正しく『景祐乾象新書』であり、もう一方の旧北平図書館本系統は偽書であると述べる 。

北平図書館本と人文研本は内容が共通するが、さらに『観象玩占』とも類似する。特に巻1を比較すると、北平図書館本と『観象玩占』続修四庫全書本では多くの引用が重なっていた。試みに張衡の佚文に注目して比較すると、『開元占経』には見られない佚文が『景祐乾象新書』北平図書館本と『観象玩占』に共通して見られ、両書の密接な関係がうかがえる。北平図書館本の実態解明のためには、『観象玩占』との関係を考慮する必要がある。

残巻本と明鈔本の内容は、いずれも歴代の占書および春秋から五代に至るまでの諸史から集めた占辞である。天文占のほか、雲気や風角などを含む。
書目では、『宋史』芸文志に「楊惟徳乾象新書三十巻」があり、『通志』芸文略や『直斎書録解題』にも同じく三十巻の記述がある。

〔項目概要〕(北平図書館本・人文研本)
天体/天変/日/月/五星/二十八宿/太微宮垣/紫微宮垣/天市垣/経星(他の星座)/客星、瑞星/妖星、流星、隕星など/雲気/虹蜺、雷、霹靂など/風角/地、日、月、星
 ※他のテキストは、全体の目録が残っていないため挙げなかった。続修四庫全書本では、二十八宿の後に七巻分の残欠があり、続いて五星合聚占などの五星相互に関する占い、彗星、孛星の項目がある。

[関連研究]

 『続修四庫全書』第1050冊
 『秘書集成』15、占筮類(団結出版社、1994年)
 羅振玉『羅雪堂先生全集』六編(一)(大通書局、1976年)
『中華再造善本』唐宋編子部之一(北京図書館出版社、2003年)
 田中良明「北宋楊惟德等撰『景祐乾象新書』諸本管見」(『東洋研究』第193号、2014年)

田中良明「宋『乾象新書』始末」(水口幹記編『アジア遊学244 前近代東アジアにおける〈術数文化〉』 所収、勉誠出版、2020年)

参考文献

前原あやの「天文占書の解題と「天文占書フルテキストデータベース」の意義」

(『関西大学東西学術研究所紀要』第49号、2016年)

『乾象通鑑』(けんしょうつがん)

南宋の李季撰。高宗の建炎四年(1130)に完成し、全100巻。序に、『景祐乾象新書』を参照して成り、『開元占経』の遺漏を補うという。『続修四庫全書』に明抄本70巻分が影印される。また清抄本100巻が人文研に蔵される。

『乾象通鑑』には、「一行游儀後論」や「通天占」、「張平子通例」など他の天文占書に見えない資料が多く引用される。このうち「張平子通例」を例に取ると、平子は後漢の天文学者張衡の字であり、一見すると張衡の著作のように思われる。しかし、張衡に「通例」という著作はなく、引用される占辞も他の文献に見える張衡の佚文とは大きく異なっており、何から引用されたかが明らかではない。このように詳細が明らかではない資料が多く引用されており、南宋の天文占の状況を知る恰好の資料となる。
内容は、日月星辰、五星など、天文を中心とする。

〔項目概要〕
天/地、山/日/月/石申、甘徳、巫咸の中外官/三氏の紫微垣/晷景、昏暁中星、行数など/分野/五緯(五星)/三垣/二十八宿/雑座/五星/瑞星/妖星/流星/雑

[関連研究]
『続修四庫全書』第1050、1051冊

田中良明「『乾象通鑑』初探」(『東洋研究』第199号、2016年)

参考文献

前原あやの「天文占書の解題と「天文占書フルテキストデータベース」の意義」

(『関西大学東西学術研究所紀要』第49号、2016年)